アーティスト/俳優。エレクトリックギターをピックを使わずに全て指で弾くという独自の“スラップ奏法”でギタリストとして世界中から注目を集め、これまでに約30カ国350公演以上のライブと共に、8度のワールドツアーを成功させている。俳優としてハリウッドデビューも果たし、国内外の映画に出演。2017年には日本人として初めてUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)親善大使に就任。
自身40歳の誕生日翌日となる9月15日に13thオリジナル・フルアルバム『Imaginary』をリリースするMIYAVI。圧倒的なギターテクニックで知られる彼だが、今作ではギターよりも電子音が強く主張する場面も多く、彼のギターに対する通り一遍でない哲学が窺い知れる。彼が今思う最新型のMIYAVIの音楽とはどんなものなのか。また、社会に対する言及をはばかるミュージシャンが多い中、一貫して積極的な発信を行ってきた彼が、今の社会のありようをどう見ているのか。リリースを控えた某日、都内某所でじっくりと話を聞いた。
ー今作の制作はどのように進んでいったのでしょうか。
この作品は元々、去年2020年にオリンピックが行われていたらその直後に出すつもりだったんですけど、準備を進めてる途中で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的に猛威を奮い始め、ツアーや撮影などが延期になり渡米もできなくなったので、一旦制作をストップして、リリースが今のタイミングになりました。
ーそのまま2020年中にリリースという選択は、MIYAVIさんとしては違ったんですね。
そうですね。楽曲はやっぱりオーディエンスのみんなの前で披露して初めて完成する部分もあるので。去年はすでに『Holy Nights』とアルバムを4月に出していて、そのツアー自体当面できそうもないというのがわかっていたので、その折り合いをどう付けるのか。去年はツアーができない分バーチャルャルライブをたくさんやって――たぶん世界的に見てもかなりの本数をやった方だと思っているんですけど、どうしてもバーチャルャルライブでは伝えきれないものがあるし、違う表現形態だなっていうのはありますね。 単純な情報量としても、臨場感や温度、嗅覚なんかの五感に訴える部分はバーチャルでは伝えきれない。それに、実際その場にいるからこそ感じ取れる、なんていうか……波動みたいなものは、5Gの電波にだって乗せられない。
ー波動、まさにですね。
だから一度冷凍保存というか、ステージでのパフォーマンス含め自分の中で納得いく形で世に出せるように仕切り直そうと。歌詞も去年のうちに書き上げることもできたんですけれど、作るからには時代とリンクしたものを作りたい。作品としては未来に残るタイムレスなものを作ってるつもりですけど、出てくる言葉やビートの鮮度は大切にしたい。人の作るものである以上、生モノだと思うし、ちゃんと今の時代に出す意義のあるものにしたいから、歌詞やトラックも改めて今年に入ってから詰めていきました。
ー今作に関するMIYAVIさんの公式発信を拝見すると、価値観の変容していく世界において、創造性によって前に進んでいこうというテーマが込められているように思います。こういったテーマはどのような経緯で固まっていったものなのでしょうか。
実際、今の世界の情勢に対して思ってることを総括するとこうなるのかなと。今だったらコロナもそうだし、ハイチでは大きな地震があって、アフガニスタンでは国から逃れようとしている人たちがいて、北米ではアジアンヘイトがクローズアップされていたり、今も世界中で色んなことが起こっている。僕が関わりを持っている難民の問題もそうです。結局、そういうことを知るとやはり歌いたいことにも自然と影響してきます。
ーMIYAVIさんはかねて難民支援機関であるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の親善大使として活動されていますよね。もしかして今日つけてらっしゃる水色のリストバンドも?
そうです、UNHCRのものです(※水色はUNHCRのシンボルカラー)。UNHCRの親善大使として、これまでレバノン、コロンビア、タイ、バングラディシュなどでの難民支援活動に参加して、現地の子供たちとサッカーをしたり弾き語りをしたりしながら、彼らの苦しい生活の現状を目の当たりにしてきて。去年リリースした『Holy Nights』は、そういった経験からも大きく影響を受けていますし、コロナ禍ともリンクする内容で、意図せず時代に即したものになりました。
ーそういった世界の脅威を前に、創造性の意義を改めて感じた、ということでしょうか。
そうですね。音に乗せて何を歌えるのか。 コロナ禍において、僕だけじゃなく世界中のミュージシャンや表現者たちが、自分たちの存在意義を改めて問い直したと思うんです。平和が前提でない世界の中で、自分には何ができるんだろう、何を表現するべきなんだろう、って。 難民支援活動を通して学んだことにも繋がるんですけれど、生きるか死ぬかそういった場においてまず最初に必要なものは、食料、医療、水。緊急フェーズにおいてはそういう命に直結したものを真っ先に確保しなきゃならない。そして次の持続フェーズにおいて、教育、文化が重要になってくる。教育は子供たち=未来への投資、文化は人としての尊厳を感じるために不可欠なもの。知性を得て、文明をつくって、健康的に暮らしていく中で、音楽、映画、スポーツなどの文化を通してアイデアを共有し、他人と繋がっていく。 そこで生まれる創造性(イマジネーション)が、未来を描くための大きな助けになる。それこそ僕たちが持っている特殊なパワー。今回の作品のテーマも、そういうところから来ています。
ー本邦ではいまだに「ミュージシャンが政治に口を出すな」といった同調圧力が根強く、その抑圧を無自覚のうちに内面化したミュージシャン自身が「自分にはただ音楽を作ることしかできない」といったスタンスを表明することもしばしばあります。そんな中、MIYAVIさんは社会に対する考えをストレートに発信してこられました。
そうですね。そういう抑圧的な雰囲気はあると思います。でも、僕は今この国に何より欠落しているものは対話力、リーダーシップ、統率力だと思っていて。そういう意味でも、積極的に発信していくことは必要になってくると感じています。
ーリーダーシップと統率力。
感染症対策にしても、オリンピックにしても、正直ちょっとグダグダじゃないですか。出口の見えない規制で自由を奪われているうちにどんどん感染が広がって経済的にも疲弊して、オリンピックはまずやるやらないの時点から話がまとまらないまま納得いかない人も多い中、開催に踏み切った。昨今では誰も経験したことのない未曾有の感染症拡大の最中ですから、もちろん混乱も起きるし、経済のことも考えると意見も割れる。だからこそ、そこで「デメリットやマイナスはあるけど、進むべき道はこっちだ!」と示してくれるリーダーシップが必要だと強く感じています。 もちろん100%正しいことなんてない。その時々で最良だと判断した方に舵を切るしかない。結局そこで、決断を下す立場にいる人たちが「未来はこっちだ!」って言ってくれないと、付いていく側も、大変な時期を食いしばって乗り越えられるものも乗り越えられない。 だから今も緊急事態宣言中なのに全然緊急事態感がくなっちゃって、人出が減るわけでもない。でも、確実に飲食、観光、航空業界をはじめとして、あらゆるマーケットが打撃を受けている。みんな、ただでさえ大変な中で、何度もさらなる苦境を強いられて耐え忍んでる。だからこそ「これを乗り切ったら、こうなる。だから、今踏ん張って乗り切るしかないんだ」という強いメッセージやアティチュードが必要だと思います。 「未来を指し示す」っていう点では音楽でも担える部分があるかもしれない。聴いてくれる人が、僕たちの作品を聴いて「未来って捨てたものじゃないかもね」って思ってくれたら、こんなに嬉しいことはない。この先に光があるんじゃないかと感じさせることが、今の世界における僕たち表現者の存在意義の一つなんじゃないかなって。
ーそういったソーシャルイシューにまつわる発信は、やはり日本国外で活動されるようになってから活発になっていったかと思うのですが、意識するようになったきっかけとなった出来事が明確にあったんでしょうか。あるいは、ご友人や信頼されている方からの影響だとか。
そうですね、家族や友人の影響は大きいです。特に難民問題に関してはアンジェリーナ・ジョリーさんに大きな影響を受けました。
ー同級生や仕事仲間をイメージしてたんですが、アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)。
やっぱり彼女のやってきたことってのはすごい。第一線で活躍しながら、その傍らで難民支援のためにとてつもない私財を投じて、自ら現場にも赴いて。彼女との出会いはある種の導きだと思ってます。感化されますよね、あれだけ気合い入ってると。子供6人育てながら、働きながら、第一線でやってる。彼女から難民問題の実状を教えられて、僕自身衝撃を受けました。
ー海外では、著名人が自身の影響力のある立場を自覚して社会に還元していこうという共通認識、ノブレス・オブリージュのようなものが広く共有されているように思います。
そうですね。僕はそういうことがある種のステータスになっていいと思ってるんです。成功の一の指標というか。地位や名誉やお金を得た人が、こういうことをすること自体が格好いいこと、成功の一部っていう認識が広まっていったら、世界中で起きている問題や困難を抱えた人たちへの支援がもっと行き届くようになるはず。 それは企業でも同じことで、僕がお仕事をさせてもらっているGUCCIをはじめとして、ハイブランド各社もどんどんサステナビリティ(=持続性)を意識してその活動に反映するようになってきている。
ー近年、ファッションブランドがSDGsを意識した発信を盛んに行うようになってきましたね。コレクションに参加するようなハイブランドだけでなく、いわゆるファストファッションと呼ばれるブランドも。
世界を相手に仕事をしていてつくづく思うのは、強くないと優しくなれないということ。困難を抱えた人のことを考えられるのは、自分がある程度保障された生活を送れているから。そういう意味でももっともっと影響力を持ちたいと思うし、強くなったぶん社会に還元していきたい。 最近はどんどんコンシューマー(=消費者)もそういう意識の高い企業、ブランドの製品や物を選ぶようになってきてる。 れは、とてもいい流れだと僕は思いますね。 あと忘れちゃいけないのが、みんなが最初からこういう考えだったわけじゃないということ。時代の流れのなかで今こういう考え方に辿り着いているというか、その時その時で社会において、良いとされている価値観は常に移り変わってきて、今の時点ではここまで来た、という視点も大事だと思います。 そういう価値観の推移ってものを認識していないと、少し前の価値観のままでいる人に対して攻撃的になってしまったり、昔の自分自身と折り合いがつかなくなったりもする。 ちょっと前までファストフードの大量生産・大量消費が当たり前だったわけじゃないですか? 僕が若い頃、テレビや映画とかでも普通にタバコを道端に捨てるシーンがかっこいいとされていたりもしました。そういう時代を経て今がある。今、実際に僕がやっていることだって、僕自身ギターを始めた時に思い描いていたかっこよさとは違うわけです。昔は音楽で成功したら、スタッフを大勢連れてツアーに出て、毎晩パーティをして、プライベートで高級車を乗り回して、といった俗にいうロックスター像を思い描いていました。 でも、今僕はUNHCRの水色の帽子を被って、水道も電源もない難民キャンプへ行って、汗だくでアコギで弾き語りをしている。全く正反対ですが、今の価値観ではそういう自分の方がかっこいいと思えるし、社会的にもそういう活動自体をかっこいいものしていかなきゃならない。かっこいいと思ってもらえれば、若い子たちが後に続いてくれますから。 少なくとも僕は、マリファナ吸ってかっこいいって思われるよりも、難民キャンプで一緒にサッカーをしてかっこいいって思われる方がずっと未来は明るいと思います。
ー今作ではギターサウンドと同等、時にはそれ以上に電子音が前面に出る楽曲が多く収録されている印象を受けました。この点、ご自身としてどのようなご意図があるのでしょうか。
そうですね、いちギタリストとして、ギターにはもちろん愛着も感謝もあって、これからもギターをメインに据えた音楽をやっていこうと思ってますが、ただそれと同時に、時代とリンクして色んなことにチャレンジしていきたいって気持ちもあります。 今まで自分はギターで色んなものをぶった斬ってきました。世界の音楽マーケットで勝負する以上戦わなきゃならない。色んな相手や飛んでくる弾丸をぶった斬り続けて、戦車だって斬れるようになった。で顔を上げたら、向こうから無数の戦車がやってくる(笑)
ー終わりがないと。
そういう経験を踏まえて、“斬らない戦い方”っていうのを最近は意識してる。刀を抜かずして勝つというか。単純に、ギターを弾きまくるだけじゃなく、そうじゃない勝てる方法を見つけたい。それを見つけたときにまた一段とギターが輝くと思うし。そもそも元々僕のやってきたことって、そこまでロックど真ん中な音像でもない、DJと一緒にやったり、和太鼓やタップダンス入れてみたり、フレキシブルにその時代の音とリンクしていたいというのは常々思ってます。 ギターはいつの時代でもかっこいい。けれど、それに甘えてちゃいけないとも思う。そういうギターの格好いいイメージっていうのは、先人たちが脈々と築き上げてきてくれたもののお陰な部分も大きいので。おんぶに抱っこは嫌なんで。今の時代の新しい音像の中でのギターの存在の仕方っていうのを模索してきたし、これからも続けていくつもりです。
ーありがとうございます。それでは、楽曲ごとに詳細にお話を伺っていきます。まずは1曲目の『New Gravity』ですが、のっけからかなりハイボルテージな、しかもアルバムのテーマを体現するようなセンテンスで構成された楽曲です。ゆったりしたテンポの楽曲を最初に持ってきて、徐々に上げていくやり方もあると思うんですが、ここは「最初からぶちかましてやろう」という意気込みでこういった導入になったんでしょうか。
どちらかというと、最初からかましていこうってよりも、ある意味この1曲目と2曲目以外はカップリング、くらいの勢いです(笑)
ーそうなんですね。
アルバムタイトルは最終的に2曲目と同じ『Imaginary』にしましたけれど、『New Gravity』とどっちにするか結構迷ったくらい。それくらいこの2曲はアルバム全体のテーマを象徴する楽曲で、今回それを冒頭に持ってきました。
ーかなり大胆な思い切り方かと思うんですが、どういった背景でそういった考え方になったんでしょうか。
サブスクやストリーミング主流になって、アルバムの聴かれ方が変わってきてるからですね。これまでも毎度アルバムのテーマをしっかり設定してきたし、今回もそうですけれど、いくらコンセプチュアルにアルバム全体のトンマナ(トーン&マナー)を揃えても、今は残念ながらアルバムを通しで聴くことを日常的にやらない人の方が圧倒的に多い。
ーYouTubeやストリーミングの普及とともに、アルバム単位で音楽を聴かなくなってきている、それどころか1曲を最初から最後まで聴かせるのも難しい時代だと言われていますね。
今回も制作開始当初は全編テーマに沿った曲だけを集めて、と思っていたんですけれど、チーム内でも「そもそも今ってそういう聴き方がされる時代だろうか?」となって。だから、テーマとして伝えたいことは1曲目と2曲目に思い切り詰め込んで、あとはそこまでテーマに縛られずに柔軟に作っていこうと。そういう意味では今までにやったことのないアルバムの作り方で、これも一つの挑戦でした。
ー続いて『Are You With Me?』についてです。この曲のアウトロではMIYAVIさんがかねてギタープレイの理想形とおっしゃっている「ギターで歌う」を体現するような演奏が聴けますが、ギターキッズたちのために「ギターで歌う」コツを少し教えていただけないでしょうか。
コツなんて言ってもなあ、半分顔芸やから(笑)
ー(笑) 「顔で弾く」もギターヒーローの伝家の宝刀と言えばそうですが、もう少し何かヒントをいただけないでしょうか。
顔というか体……なのかな。体がちゃんと共鳴していればギターは鳴る。とは思います。なんていうか……祈りに近いんですよね。
ー祈る。
祈ってる時と歌ってる時とセックスしてる時は一緒だと思う。繋がり方が。それと同じことをギターでもできるかどうか。コネクトして、波動を感じ取れれば、ギターは鳴るし、歌う。
ーアスリートで言う“ゾーン”みたいなものでしょうか。その繋がる、コネクトする対象というのは、宗教を持ってらっしゃる方にとっては神やそれに準ずる聖性を帯びた存在なのかなと思うんですが、MIYAVIさんにとっての”それ”ってどんなものなんでしょうか。抽象的で答えにくい部分だとは思うんですが。
光かな。
ー光。もうちょっとだけその光との関係性について伺いたいんですが、それは自分の遠くにあって、自分を高めることで到達できるものですか? それとも、自分の中から探り当てるようなものなのか。
そうですね。近くに感じるんじゃないかな。
ーなるほど、感覚を研ぎ澄ましていくと、向こうから近づいてくるような、あるいは自分側に引き寄せるような、そんなイメージですかね。
だと思います。ずっと近くにあるような気もする。
ーそれを身体で捉えて共鳴し合えると、ギターが歌うと。
うん、これはギターに限った話じゃないんだろうなと思う。そういうことがギター以外の色んなことに関してあるはず。絵とか料理とか。
ーありがとうございます。MIYAVIさんはアルバムの英語詞と日本語詞の割合について、過去作でも明確な方針を持って制作されてきたかと思います。今作に関してはどのような方針で臨まれたのでしょうか。
そうですね、過去作では「英語で作るのは難しいから日本語で歌詞を書く」ということはしたくないと、あえて英語の歌詞に重点を置いたこともあったし、その時期を過ぎると「もう英語はできるようになったから日本語詞を多めに」という方向性でやったこともありました。そういう色々な時期を経て、今はある意味一番自由というか。曲ごとの自然な成り行きに任せて作っていった部分が大きいと思います。今回は結構一曲の中で(英語と日本語が)混ざり合った曲が多いんですけれど、本当は混ぜたくない、というのはありますね。なるべく曲ごとに分けたいと思ってるんです。
ーそれはなぜ?
単純にリスナーにとって優しくないかなと思うから。どちらかの言語しかわからない人にとってはやっぱり伝わりにくいかもというのが気になっています。自分は日本語も英語も理解してる言語だし、普段から混ざって出ることはあるので、こういう両方が混ざった歌詞は自然なんだけど、わからない人にとっては耳にすっと入ってこない。本当は英語と日本語で同じことを繰り返し歌ってもいいし、全曲英語バージョンと日本語バージョンを作ってもいいと思うんですけどね。
ーそこまでシビアに考えてらっしゃるんですね。
でも結局、いつもそこら辺は作品のメロディやリズムに合うものを優先しちゃいます。
ー続いて『Smells Like Teen Spirit』。こちらは言わずとしれたニルヴァーナ(NIRVANA)の代表曲のカバーです。あのアイコニックなリフが音数を削ぎ落とされて、電子音で鳴らされています。非常に大胆なアレンジですね。てっきりスラップでやるものだとばかり思って再生したので衝撃でした。
そうですね、MIYAVI流のスラップギターで再解釈するっていう手もあったと思うんですけれど、原曲が元々ギターミュージックだっていうのがあって、もっと抜本的にやりたいなと。カバーをやるからには今の時代の音で作り変えることに意義があると思うし、そうすることでリスペクトが示せるのかなと思ったんです。 やる以上はMIYAVIサウンドで。自由に思いっきりやらせてもらいました。結果として、ギター弾く弾かないを問わずMIYAVIサウンドってものを形作ることができたかなって思ってます。
ーこの曲のオリジナル版は、本当に世界中のたくさんの人に影響を与えた、それぞれの思い入れと共に語られる楽曲かと思います。MIYAVIさんはこの曲を初めて聴いたとき、どのような印象でしたか?
この曲は音楽史の流れを変えた楽曲の一つ。決してポジティブな曲ではないんだけれど、特有のパワーがあって、解放、熱量という点では共通のものがあると感じます。カート・コバーン(Kurt Cobain)っていう人自身が象徴的な存在。退廃的で、荒々しくて、どこか人を引きつける魅力を持っているロックスターだと思います。もっと遡ればシド・ヴィシャス(Sid Vicious)なんかもそうだと思うし、最近でいうとJuice WRLDやMachine Gun Kellyとかになるのかな。
ー反面、『Living In Fire』は伝家の宝刀というか、MIYAVIさんならではのギタープレイが聴ける楽曲ですね。
あれはMIYAVIスラップの真骨頂という感じですね。ギターを弾く人からしたらMIYAVIのサウンドって言われてイメージするのはあれなんだろうなって思います。今回は電子音が強い作品だけれど、別にギターを封印したわけではないし、これからも変わらずギターでロックし続けていきますよ。
ーMIYAVIさんはご自身のプレイスタイルを確立するにあたって、三味線からインスピレーションを得たとのことですが。
そうです。日本のギタリストが世界で何を表現するのか、というのを考えたときに行き着いたもの。海外にはすでにエリック・クラプトン(Eric Clapton)、B.B.キング(B.B. KING)、スティーヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan)など、ギターヒーローと呼ばれる人がたくさんいて、もちろん僕自身もリスペクトしているけれど、彼らのモノマネになるのは嫌だった。もちろんすべては模倣から始まるし、実際影響を受けている部分もたくさんあるけれど、もっと別軸で、自分のオリジナルですって胸を張って打ち出せる独自性が必要だと感じていました。ただモノマネをしているだけだと、楽しいかもだけど、残るものにはならない。 このことも、さっきから話している価値観の推移の話と繋がると思うんですよ。ミュージシャンは政治に関してコメントしないものだっていう慣習に囚われたり、ロックスターは豪華なライフスタイルをしてなんぼだっていう一昔前の価値観のままでいたりして、どこかで新しいあり方を発信していかないと何も変わらない。 そういう過去のあり方が間違っていたってことじゃなく、時代が推移して“役目を終えた”という感覚。僕は日本で他のギタリストを見ていて、それぞれ影響を受けている海外アーティストがいて、それは良いんだけど俺はそのままでいいのか?と思ったんです。いつまでも“影響を受ける側”でいることって当然なんだろうか? って。もうそろそろインポートじゃなくエクスポートしていく時代なんじゃないか、と感じはじめました。そこでじゃあ日本のギタリストであること武器はなんだ?となったときに三味線が一つのソースになりました。
ーMIYAVIさんの奏でる音のあり方も、価値観同様に推移を遂げてきたかと思います。2010年の「WHAT'S MY NAME?」ではMIYAVI流のスラップ奏法を確立し、2016年の「Fire Bird」ではそこにファズ、ワーミー、トレモロアームを加えて進化を遂げた。続く「NO SLEEP TILL TOKYO」では「WHAT'S MY NAME?」と「Fire Bird」が融合したような音像で、当時ご自身で「MIYAVIのギターサウンドの集大成」だとおっしゃっていた。そして前作『Holy Nights』からはギターと電子音との融合にフォーカスされ始め、今作で一つの到達点を迎えられたのかなと思いました。
そうですね。ギターとギター以外の音とをいかに同居させるかってことはずっと考えています。それが今の世代のギタリストとしての自分の役割だと思う。機械とどう対峙できるか、機械に負けずにパフォーマンスできるか。
ーMIYAVIさんの現在の制作環境はいかがでしょうか。電子音の比重が大きくなってきていますが、作曲は今でも主にギターでやられているのか、最初からDTMで進めていくのか。
曲によって色々ですね。ギターで弾きながら進めていく場合もあるし、先にビートを決めてから取り掛かることもあります。ただまあ、楽器を使うならやっぱりギターです。ギターで表現することが楽だし、自然。アウトプットとしては色んな形はあれど、いつまでもギターミュージックでありたいと思ってはいるので。
ーありがとうございます。では、今作の中でもEDM的なアプローチの顕著な楽曲の1つ、『Are You With Me?』についてはどのようなアプローチで制作されたのでしょうか。
この曲『Are You With Me?』はECCとのコラボレーションに寄せて作った曲です。さっき教育に関心があるって言いましたけれど、僕自身25歳を過ぎてから英語を学び始めたことで、今、世界で活動できている。日本にいてこの国のためにできることの一つとしてその体験を還元したいという気持ちがあって、今、語学・教育推進アンバサダーとしてECCさんと一緒にお仕事をさせてもらっています。 この曲は、ECCの生徒さんたち、英語を学んでいる人たちから歌詞のアイデアをもらって、作りました。コンセプトとしては、簡単な単語ばかりでキッズでもわかりやすい、ABCソングのロック版みたいなことをやりたかった。
ーアルバム前半では、電子音が主張する曲にしろ、ギターが引っ張っていく曲にしろ、BPM(1分間の拍数)が高くエネルギッシュな楽曲が続きますが、その流れが『Hush Hush(feat. Kang Daniel)』で急激に変わりますね。そこから『Youth Of the Nation(feat. Troi Irons)』など、抑えたトーンの曲が続くシークエンスに突入します。
前半飛ばしすぎてバテるっていうね(笑)
ーいやいや、バテたわけじゃないと思うんですが、『Hush Hush(feat. Kang Daniel)』から陰のある楽曲が続くのは、どういった意図なんでしょうか。アルバム全体としてのストーリーや流れをどのように設定されたのか伺いたくて。
正直、これといった意図はないんですよ。今回、コンセプトはさっき言ったようにしっかりビジョンを持って進めていましたが、この曲とこの曲を入れて全体のストーリーをこうして、という詳細な設計図は描かずに作ったんです。そういう意味では、ある種、冒険だったと思います。 『Living In Fire』も『Hush Hush(feat. Kang Daniel)』も『Are You With Me?』も元々入れるつもりはなかったくらいだし。
ーそうなんですね! となると、何を基準に選曲したんでしょうか?
ポップさ、その一点に尽きます。ポップであるか否かという基準をもとに、今回プロデューサーとして参加してくれたJeff Miyahara(ジェフ・ミヤハラ)をはじめとしたスタッフみんなの意見を聞いて、どの曲をアルバムに入れるかを判断しました。こういう作り方にしたのも、やっぱり作品の聴かれ方が変わってきているからというのが大きいです。でも自分としてもすごく自然な流れだった。入れるつもりのなかった曲も含めて、今ある曲を全部出して、スタッフみんなで聴いてみて、という感じで選曲を進めました。 自分としては意外な曲が選ばれたりもしたんですけれど、自分で作った曲だし、嫌いなわけじゃない。周りの「いい曲だから入れようよ」っていう純粋な気持ちを信頼しました。自分としては初めてのことです。これまでは、作ろうとしてるアルバムと方向性が違ったら、たとえシングル曲でも入れない、といった感じで厳密に精査してきたので(笑) でも、それも僕が自分で作って自分で縛られていたルールや決め事=重力だったのかもしれないって今なら思います。
ー続いて『Dance With Me』ですが、これもまた毛色が違う世界観ですね。
あれは夢や想像でしか会えない人とのストーリーを描いた楽曲です。アルバム全体のテーマである創造性ってものにも紐付く部分だけれど、夢というものに対しては色々と思うことがあって。例えば、完璧なリアリティを感じられる夢があったとして、そしてそこから醒める必要がないとしたら、それって“”現実じゃない”と言えるんだろうか? ということ。
ーというと?
『インセプション』や『マトリックス』みたいな、現実と同等の感覚が得られる仮想現実の世界が実現したら、そこで得た感覚や感情事態はリアルなわけじゃないですか? そういう意味では人間の感覚ってすごく曖昧だなあと。バーチャルリアリティの世界、例えばセカンドライフ、SansarといったVRやメタバースの技術に惹かれるものと共通します。 そういったイマジネーションの力で世界の境界線を曖昧にするという点では、夢というものも今回のアルバムのテーマともリンクする部分があると思うんです。 とても幸福な夢から醒めたとき、元々存在しなかった幸福なのに、ひどい喪失感を覚えることがあるでしょう? あの感覚に近いものを歌ったのがこの曲。
ー『Dance With Me』では歌をタメて拍に乗せるなど、情感を込めて歌い上げていますね。こういったアプローチはどのような経緯で組み立てていったんでしょうか。
この曲の歌については特にJeff Miyaharaの手腕が大きかった。ボーカルディレクション、音の描き方、配置の仕方など、今回、全面的に信頼してものすごく貢献してもらいましたね。 今回のアルバムは、今までになくポップさというものと正面から向き合った作品です。だから制作にあたってJeffの意見も大きく反映されています。チームとして彼のポップセンスを信頼しているし、ポップさというものを誰より突き詰めてきた人だから。 彼がもたらしてくれるポップさは、今までのMIYAVIにはないものでした。
ーMIYAVIさんは、妻のmelody.さんと3人のお子さんと暮らすお父さんでもあります。お子さんたちはMIYAVIさんのSNSやテレビ番組にも登場していますよね。
はい、上の子2人は少し楽器ができるので、彼女たちと一緒に演奏している映像をアップしたりしています。 コロナ禍前は海外で暮らしていたので、年末年始なんかの機会に彼女たちを日本に連れてくると異文化として楽しんでいたところがあって、その視点から改めて日本の文化の特性や良いところに気付かされたりもしました。
ーお子さんたちの目を通して気付いた日本の良いところ、悪いところはどんな点でしょうか。
改めてやっぱり便利な国だなって思いますね。ウォシュレットなんかも日本にいると当たり前だけれど、海外の人からするとびっくりされるし、すごく特殊なものだったりする。そういう世界における自分たちの特異性に無自覚なままここまで来たことで、逆にどんどん独自の発展を遂げてきた。それに、コンビニやファストフードが至るところにあって、余程のことがない限り不自由を感じることがない。逆にそれが行き過ぎているところがあるから、そこが良いところでもあり悪いところでもあるのかもしれないけれど。
ー『しゃべくり007』にお子さんと一緒に出演された時、芸人さんたちを前にして物怖じせず、自由過ぎるくらいに活発に振る舞われていた姿が印象的でした。
またさっきの価値観の推移の話とも繋がると思うんですけれど、若い頃は自分がこういうふうに家庭を築くなんて思い描いていなかったし、昔の父親像、特にロックをやっている父親っていうのは、家庭を顧みず音楽に邁進してこそ、みたいな既成概念があったと思うんです。 でも、何のために仕事してるの? ってことを立ち止まって考えれば、間違いなく家族を守るため。ずっと仕事だけしていたら、何のために闘っているかわからなくなる時もあります。
ーミュージシャン・表現者としてのMIYAVIと、家庭人としての自分は地続きでしょうか。それともはっきりとモードを切り替えているのでしょうか。
完璧に地続きですね。逆にその2つを分けないことこそが、持続させる唯一の方法だと思います。家庭も仕事も。そこに乖離が生まれると絶対に苦しいし、どこかで無理が出てくる。もちろんビジネスとプライベートを分けるべき場面はあるし、自分にもそういう時はあるけれど、少なくとも自分は常に同じ人格として仕事場でも家でも居続けています。 家庭感のあるロックスター像っていうのは日本ではまだあまり認知されていないのかもしれないけれど、自分は自分なりの、新しい時代のロックスターのパパのあり方ってものを確立したいなって思ってます。
“世界における東京”を体現する
ー今回、アルバムジャケットのデザインはKing Gnu・millennium paradeの常田大希さんが主宰するクリエイティブレーベルPERIMETRON(ペリメトロン)が手がけています。どういった経緯で彼らとやることになったんでしょうか。
アルバム制作は普段、レニー・スコルニクというプロデューサー率いるロサンゼルスのチームとやってるんですけれど、世界がこんな状況になって向こうに飛べなくなって。そこで、東京で作るしかなった、ではなく、東京でしか作れないもの。この日本、東京でしかやれないことをやってみるべきなのかな、という決心がつきました。 チームの選定も、京都から見た「東」の京である東京じゃなく、世界地図で見たときの「東」の京。世界の極東の国・日本の首都・東京を感じているチームにしたいと強く意識しました。 音楽面ではロサンゼルスのレニーに加えて、ずっと日本の音楽マーケットを牽引してきたJeff Miyahara、ビジュアル面ではPERIMETRONとやりたいなとなって。常田くんにすっぽんを食わせに行くところから始めました(笑)
ー2ショットをInstagramに投稿されて、大きな反響がありましたね。「ご存知の通り、俺、基本的に先輩&後輩付き合いベタなんだけれど、久々に血の匂いがする日本人アーティストに出会えました」と言葉を添えられて、常田さんと共鳴する部分を感じられたようでしたね。
彼とは「世界における東京」のイメージを共有できている気がします。今回のアルバムではその共通言語を持ってる人と組んでやりたかった。その点はJeffもそう。
ーMIYAVIさんの思う「世界における東京」というものを噛み砕いて表現すると、どういった言葉になるでしょうか。
………「めちゃくちゃ」。
ーめちゃくちゃ。
日本から世界に飛び出した者の1人として感じていることなんですけれど、世界における日本の強みは狂気とホスピタリティだと思う。以前、YOHJI YAMAMOTOの山本耀司さんと話した時もこの話になったんですよ。 この2つが、僕たちの世界に誇れる武器なんだろうなと思います。ただ、いい面も悪い面もある。 世界から見たときの感覚のズレというか、狂気を感じる部分は間違いなく武器になるし、肝心な人がリーダーシップを発揮しなくても、それぞれが和を重んじて自分を律して行動できてしまうところも、ある意味狂気を感じる。 そういった部分は素晴らしくもあるけれど、逆にホスピタリティが行き過ぎてトゥーマッチなくらいシステマチックな部分も大いにありますよね。自ら生み出した重力に自ら縛られにいくような。
ーなるほど。
コロナ禍に直面したことで、これまでの枠組みが諸々機能しなくなって、強制的にパラダイムシフトが起こっている。今ここで何に気付けるかが重要だと思います。 色んな場面で価値観の反転が起こっていて、自分たちの新しいやり方を見つけるタイミング、見つけなきゃいけないタイミングに来ている。
ー転換点に差し掛かっているということですね。
はい。それと同時に今、色んな場面で個人同士の自由のぶつかり合いが起こっていて、それとどう向き合っていくか。自由というものの定義も変わりつつあります。 コロナ禍に関して言えば、ワクチンを打たない自由がある一方で、ワクチンを接種した人の自由を侵犯しないために、打たないと立ち入れない場所があったり、行動が制限されたりする。自由を得た分、別の面で不自由になったり。 もっと大きな仕組みの話で言えば、人々の自由な生活を守るために、より正確に国が感染拡大状況を把握する制度や設備を整えよう、という理想や仕組みの先には徹底的に管理、監視される社会があったりする。
ー自由競争を促した末に今、新自由主義によって社会に歪みが生じていたり。
そう。だからこそさっき話した「リーダーシップと統率力」が重要になってくると思うんです。その人の決断が今、最善だと思わせてくれるようなリーダーが必要。それをどう民主主義的に維持できるか。僕たち日本人は誰に言われずとも勝手に秩序を持って行動することができる、珍しいタイプだとも思っていて。世界的に見たら、明確なペナルティーも無しにこんなにマスク着用のルールを厳守している国は珍しい方じゃないですか。てか、規制される前から着けてるし(笑)
ーそうした自らに秩序を課す感覚は同調圧力にもなり得るわけですが、確かにそうですね。
そうですね。だから良くも悪くもだけど、本来こんなに統率しやすい国はないと思うんですよ。それでもどうしようもないくらいリーダーシップと統率力が欠落しているということなのかもしれない。国としてもっと一枚岩になるべきだと強く感じますし、逆にそこに可能性を感じます。
ーMIYAVIさんはこれまで、「サムライギタリスト」といった異名を冠して、世界の舞台で日本人として活動されてきました。国を代表する立場として扱われる場面が非常に多いかと思います。そういった扱いに抵抗を感じることはありませんか? なんというか、勝手に日の丸背負わすなよ、俺は俺だよ、というような気持ちになることはないんでしょうか。
それは逆に、自ら背負ってるつもりでやってますね。それでなきゃ逆にやってられないというか。自分から言わなくても「from Japan」って冠が付く訳じゃないですか。それは僕に限らず、必然的な部分もあるし、そこに自然と責任は付随するものだと思います。
ーそれなりにプレッシャーもあるかと思うんですが、共感できたり励みになったりする、「同志だな」と思える音楽家や表現者の方はいらっしゃるのでしょうか。
アーティストでもいますけれど、やっぱり世界で戦ってる人にはシンパシーを感じますね。イチロー選手とか。中田ヒデ選手、本田圭佑選手とか。
ーでは、後輩をフックアップしていこうという気持ちは強い方ですか? 先程の常田大希さんやPERIMETRONに対してなど。
ないですね、全くない(笑) 基本、先輩・後輩付き合いは苦手だし、そもそも上とか下と、そこまで感じてないというか。常田くんには通じ合えるものを感じたけれど、それは後輩というより、同志に近い感じ。PERIMETRONと一緒にやったのはただ一緒に組んでやりたかったからだし、逆に僕も彼らからたくさんのことを学ばせてもらっています。そもそも弟子とらない主義だし。
ーMIYAVIのイズムを継承しつつもオリジナリティを持ったミュージシャンが現れたらと思うとワクワクしますが。
まあ、そうですね、さっき言ったように教育には興味があるけれど、音楽に関してはまだまだ自分の技を磨くことに時間を使いたいって思ってるのかな。死ぬまで範馬勇次郎的(※漫画『グラップラー刃牙』シリーズに登場する架空の人物)な感じでいたい気持ちはあります。
何より、自分自身が死ぬまで学び続けたいし、向上し続けたい。そうしている中で、年上から学べることも、年下から学べることもあるとは思うので、そういう意味でも自分が一方的に教える立場っていうのは自分の在り方としては違うのかなと思います。 学び続けることが人生の喜びであると思うし、学び続けているうちは歳を取ることは怖くない。それは老いではなく進化だから。
【RECOMMENDED TUNES】
「Livin’ On A Prayer」Bon Jovi
パワーロックバンドの王道! 昔サッカーでジュニアユース行ってた時によく聴いてました。バンドと楽曲自体の持つパワーからどんな大変な状況でもがんばれる勇気をもらえます。
「Start Me Up」The Rolling Stones
ギタリストが格好いいというイメージは間違いなくキースの功績が大きいと思います。いくつになっても最高にロックンロールな姿を見てるとこちらも元気になります。
「Let’s Get It Started」The Balck Eyed Peas
リリース当時よくヘビロテしてました。ザ・ルーツのようなヒップホップ的な解釈のバンドサウンドとの融合が気持ちいいし、何か新しいことを始めようという気持ちにしてくれます。
PHOTOGRAPHY : HIDETOSHI NARITA
STYLING : MASAYUKI SAKURAI (CASICO)
HAIR & MAKEUP : CHIE (HMC)
INTERVIEW : YU-GO HIRAGINO
掲載号:VI/NYL#001(2021年9月28日発売)
■VI/NYL