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ZOC

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藍染カレン、西井万理那、巫まろ、鎮目のどか、共犯者・雅雀り子、大森靖子による6人組アイドルユニット。Zone Out of Control=孤独を孤立させないをコンセプトに、自らをすり減らしながらも光の当たらない人たちへ祈りを捧げる。20216月にメジャーデビュー1stフルアルバム『PvP』をリリース。

 

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Zone Out of Control=孤独を孤立させない。残酷な感情でさえ受け入れ、自らをすり減らしながらもあてなき祈りを歌うZOCが、ファーストフルアルバム『PvP』をリリース。VI/NYLカバーストーリーでは、様々な想いを巡らせるさなか、束の間のナイトトリップを敢行。まずはメンバー5人に、その後、個別で大森靖子の赤裸々な心情を吐露してもらった。

 

ーまずはそれぞれのパーソナリティーから聞かせてください。幼い頃から変わらない性格は何だと思いますか?

MARO 私は良くも悪くもこの曲げられない部分、妥協できないっていう部分は変わらなくて。あんまり人には思わないんですけど、自分にとって納得いかないなっていうことに対する気持ちを曲げられなくて……なんかでもそこって、大人になった今、もうちょっと早く無理なものは無理って諦めて折れることができたら、違う道とか選択肢があったのかなって思うんですよ。

今までは曲げないってことが絶対って思ってたけど、もっと楽に考えて、自分はこれできないからって折れてみることも時には大事かなって思います。めちゃ真っすぐって感じだったんで。今も結構そういうとこがあるので、そこはちょっと柔軟になっていこうと思うけど、諦めないところはいい意味でずっと変わってないかなって思います。

 

ーそういう性格って、周囲から見ると魅力的に感じる部分でもありますよね。けど自分から見ると、もっと柔軟にやっていれば違ったやり方があったかもと思う?

MARO だし、これから色んなことに対して柔らかく考えられれば、もっともしかしたらいい選択肢が現れるのかもしれないかなって……何かを選ぶときに。今までは直感をわりと信じて進んできたんです。それで大きな失敗がないので、だからこそ信じすぎちゃうところがあるなって。

 

ーではのどかさんは? オーディションの姿からしても、若くして意思の強さを感じました。

NODOKA そうですね、元々意思は強かったですね。だから、だからというよりか、意志が強いから今ZOCにいるんじゃないかなと思います。なかった部分としては、ZOCに入って想像力の幅が広がったなと思いました。

MARO のどかを見ていて、15歳でZOCに入るっていうのが本当に自分じゃ無理だし、たぶん他の人でも無理だと思うんですよ。のどかだから、年齢とか関係なくZOCに新メンバーとしてぴったりハマったんだなと思います。

のどかは、最近始めたとは思えない、でもだからと言って悪い意味でこなれてるって感じでもないから。入ってきたばっかりなのに、先輩たちに食らいつく貪欲さみたいなのはちゃんとあるけど、それをすごい表に出すわけじゃなくて、クールに見せつつ内に秘めてるものはめちゃくちゃ熱いんだろうなって思うけど、それを超出さないからいい意味で厚かましくなくて、で、ちゃんとかわいい。

ソロ曲とかも自分のおいしい部分をちゃんとかわいく見せてて。今でも十分成長してるんですけど、年齢を重ねて成長していく部分が15歳、16歳ってまだまだあると思うから、人間的な意味での心情の変化が起きた時の表現っていうのは、ものすごく楽しみだなと思いますね。24とか5、6とかになってめちゃくちゃ心境が変わるってことはそんなにないじゃないですか。のどかはそこもまだまだあると思うと、可能性が無限大だなって。

 

ーまさに、そんな多感な青春時代を全部ぶつけていくわけじゃないですか、そこの覚悟はありましたか?

NODOKA いや、覚悟する前にもう自分がこう(ZOCに)なりたいって強く思って。今15歳で高校生活もあって、そういうのも含めてできるパフォーマンスがあるんじゃないかなって思えたので。15歳だからこそ歌える歌詞とか、連想できることとかがあると思うので、それを強みにして頑張りたいです。

 

 

ーでは万理那さんは、幼い頃から変わらない部分はありますか?

MARINA 私、昔から人の話聞いてないってめっちゃ言われるし同じ話何回もする。ワンマンのMCでも言われました。本当に人の話聞いてないねって(笑) のどかにもこの前言われたんですよ、無視されるっていつも。本当に気付いてないんですよ(笑)。だから班長とか任されたことないです、昔からそうだったんだと思います。おっちょこちょいって書かれてました、よく。先生からの評価の欄で。

 

ーそもそも興味を持てることがすごい少ないのかもしれないですね。逆に、興味が持てると判断したことにはエネルギーを持って貫ける。無理だと思ったことはスルーしていく。

MARINA そうそう、だからアイドルはずっと続けられるんです。

 

ーり子さん、カレンさんはどうでしょう?

RIKO 人との関わり方はちっちゃい頃から変わんないかなぁ。他人と自分の差別化みたいなのがすごく強いので、人はこうだけど自分はこうだし「こうやって生きていかないといけない人間だから!」みたいな。だから人と交われないで生きてきた。全く理解できないっていうものに対しての判断スピードがものすごく早いから、深い傷がない。っていうのを、4、5年前、精神科のカウンセリングに1年かけて通って分かりました(笑)

KAREN 私は己に対して無自覚なところですかね、「なんで自分はこうなんだろう?」っていうところの答えになかなか辿り着けないです。ほんとに簡単な話で言うと、なんでモテないのかな? みたいなことを小学生の頃ずっと考えてたし。

 

ーでは逆に幼い頃に比べて変わったと思うことは? 

MARINA んんー変わったところ……でも、自分のことを好きになりました、ZOC入ってからの方が。嫌いとも思ってなかったけど、今考えたらそんなに好きじゃなかったんだなって思います。自分のこと大事にしてなかったというか。その時は別に何も考えてなかったですけど。ZOCやってる自分が好き。

 

ーかつての活動より今の方が好きな自分像に近い?

MARINA 近いです、だいぶ。ZOCをやってから気付きました、はい。ずっとこのままでいいなと思いました。ずっとできたらやりたいです活動は。ZOCでやりたいです。

 

ーもはや人生の中心になっているんですかね?

MARINA なってますなってます。精神面では結構大変なんですけど、体力面ではそんなに大変じゃないですよ、休みもちゃんとあるし。ZOCは何はともあれ入ってよかったです、もう本当にZOCで良かった、もし自分がZOCじゃなかったらZOCに入りたいって思ってたと思う。

 

 

ーカレンさんは?

KAREN 「こういうことをやっていきたいな」っていう思いに蓋をしなくなりましたね。今まではそんな気持ちに気付かないふりをして、やらないで済むようにしていた部分があった。本当はこういうことがやりたいのに、違うやりたいことをわざと自分で出してみたり、できないからって諦めてた部分がすごくあったので……それはやらなくなりました、やりたいことをやりたいと思うようになりました。

RIKO 私は劇的に何かのきっかけがあって変わったことが人生においてたぶんあんまりなくて、徐々に悪化していったと思うものはたくさんある(笑)。

なんか自己肯定感が異常なくらい下がり続けているとか。私小学校くらいの時は最強の時期で、なんて言うのかな、なんでもできるっていうことを、客観視以外で誰よりも素晴らしい人間だ! みたいなところをすごく自覚していた感じ、っていう風に思ってたんですけど。私の中で、踊りをやっていることが良くも悪くも色んな方向にナイフを突き立てるみたいな行為で。それは周りに対してもだし、自分に対してもなんですよ。だから人に対して厳しくなっちゃうっていうのは、自分に対してこんなに厳しくしてるから、それが当たり前だと勘違いして、ついつい……。人に向けるのと同じ強さ以上のものを自分にも突き立てるんで。やばいもう全然ダメ! 死んでしまえばいい、なんでこんなに何もできないんだろう私、ってすごく思ってしまう。

でも、そういう客観視をしないと仕事にならないんで、客観視する技術みたいなのをどんどん身に付けていくわけですよ、年を重ねるごとに。もうこういうことが一種の業なのだとしたら、その業は背負って生きていくしかないなと。きっと前の人生で30人くらい殺したんだろうなみたいな。それを「しょうがないんだな」みたいには思えるようになったかな。黙って踊っていればいいって。やっぱり幼少期に人と関わらなかったり自分の道だけを追求してこうやって生きてると、大人になりきれてない部分ってあったんだなってすごい最近気付いた。もしかしたら、もっと早い段階で良い意味で人に対して諦められたりとか、自分はしょうがない、他人はしょうがないよって……寂しいけど、もっとシンプルに諦めることを学べてたのかもしれない。今はもうそれができないまま育ってきてるんだなぁっていうのをすごい思いますね。

けど一種の愛なんですけどね、それって。本当は人に対しての。それがあんまり伝わらないですね。自分にとってはそれが興味だし、わかりたいし知りたいし、私もわかってほしいっていうのが一種の愛情なんですけど、それって下手するとすごく暴力的なんだなっていうことを、ようやく今になってわかるようになりましたね。

 

 

 

ーそれぞれ普遍的な価値観についても聞かせてください。では万理那さんには、友情観について。

MARINA 友達? え~あんま考えたことないですけど。でもやっぱいざとなったら、友達に支えられます。やっぱその、仕事で一緒に活動してる友達と、違う友達っているじゃないですか、学校の友達とか。そういう友達って何も知らないんですよ、だから私が仕事の話とかしてもわかんないんですよ、誰も気にしないんですよ、別に。だから炎上していたとしても別に誰も気にしてなくて、普通の日常を会えば普通にやってくれる状態に癒やされることが多すぎて、友達っていいなって思います、いつも。もちろん仕事の悩みとかは相談できないんですけど、そういうことじゃなくて。それがいいんですよね。

 

ーただ、いるだけというか?

MARINA そうそう、誰も別にそこに興味ない、みたいな。なんかそこがいいんです。友達っていいなって思います(笑) 特に自分の誕生日がこの前あったから、余計に思いました。周りの人たちの優しさに。なんかもう馬鹿な子が多いんですよ。馬鹿っぽい子が。まぁ私も馬鹿だし、なんかでもそれがいいなってすごい思います。みんな彼氏の話ばっかりして。 一緒になんか悪口言ってあげられるくらいの感じがいいなって思いますね(笑) 結構しんどい時期もあったんですけど、その時に得られて良かったものって、周りの人の優しさを感じたんですよ、めちゃくちゃ。これは友達だけに限った話じゃないんですけど。だからその時に周りの人大事にしようって思いました。気付きました、一生感謝して生きていこうと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーではカレンさん、り子さんは恋愛観を聞かせてください。

KAREN 人生を通した自分の恋愛観で言うと「あったらラッキー」なんですよ。恋愛というものが人生であったらそれは喜びだから、ラッキーなんですよ。「あったら嬉しいな」くらいのもの、でもなくてもいい。マリオで言ったらファイアフラワーみたいな。

 

ーなくても死なないだろうけど、あったら強くなる部分もあるだろうし。

KAREN それは今、この時期の恋してる感覚でそれ言ってるのかって言われたら違くて、自分の人生を考えると恋愛ってそのくらいの立ち位置になりそう。

RIKO 恋愛したいとか、彼氏絶対欲しいみたいなことを思ったことは一回もないですけど、彼氏がいたら完全にもう一番に優先してもらわないとダメ。どメンヘラなんで。それこそ友達がいない分、深く関わる相手が家族と、彼氏と仕事関係の人しかいなくなるんで、ものすごい分量のことを求めます。だから私とたぶん付き合う人はかわいそう(笑)。本当にかわいそうだと思う、かなり求めます。

だから私も相手のことにはすごく執着するんで、すぐ共依存状態になっちゃうんですよね。執着はすごいするけど、何かをしてあげるとかではない。こっちもこんなに好きだから、それを同じく倍以上で返してくれないと、首切って死にますって感じ(笑)

 

ーなかなか文面にしても重そうな感じですね(笑)

RIKO 昔、私がこんなに苦しいんだから同じぐらい苦しめって言って、ばーっと手首切ってお前も切れって切り付けたことある(笑)。

あと、昔一緒に踊ってた人と付き合ってて、私が作品作って振り付けてたの。でもその振り付けをめちゃくちゃ適当に踊るから腹が立って、私がこんなに命懸けて作った振り付けそんなに踊りやがって! って、目の前で100本くらい自分の髪の毛ブチブチ引き抜きました、こんなにつらいんだぞって。ドン引きしてた(笑) こんなにつらいんだぞって、お前も髪の毛抜けよって。

KAREN たぶんその状況で、今すぐできる苦しみがそれだったんだろうね。

 

ーこれはなかなかハードになりそうなので(笑) まろさん、のどかさんは家族観を聞かせてください。

MARO 父はもう亡くなっているんですけど、父も母も、父としても母としても、どちらもめちゃくちゃ好きなんですよ。私一人っ子なんですけど、二人とも本当に私にめちゃくちゃ愛情かけて育ててくれてっていう意味ではどっちも大好きなんですけど、家族としての組織としては全然家族を好きじゃなくて。どっちも、両親のこと個人個人としては好きなんですけど、なんか家族として、家族旅行とかもあんまり行ったことないし、私は結構人見知りなので、親戚ともそんなに仲良くなれるタイプではなかったから親戚の繋がりもほとんどないし。で、家族も私が高校生くらいの時にもう離婚してるので、家族っていうものに全然思い入れはないから、そういう意味で自分も家族を作りたいって思ったことがそんなになくて。なんか、なんていうんですかね。 

 

ー家族像がそもそもないからこそ、理想も描けないってことなんですかね。 MARO なんかどうしても遺伝は抗えない気がして。自分もなんか、子供のことは大事にできるけど家族っていう私的なものを子供に与えられないんじゃないかなって。同じように別々になっちゃうんじゃないかなって思いがあるから、なんか、家族ってなんなんだろうってめっちゃ思って。

友達とかで「今日家族と遊ぶから」みたいな人って全然いるじゃないですか。それを全然マイナスに思ったことないですけど「えっ、そういう家族ってどういう存在なんだろう」みたいな。なんか一日だけ体験してみたいなというか。家族っていう感覚が、私の中にぽかんと抜けてる部分かなって思います。ちょっと憧れる部分もあるけど、なんか家族の成功例というんですかね、思い描くハッピーな像がないから、それを作れる自信がなくて。なんか家族像だけはピンとこない気がします。

 

ーのどかさんは? NODOKA 私も本当にそうで、今お父さんとお母さんいるんですけど、家族=家族で幸せだなと思ったことがあんまりなくて。それっておかしいのかなって思うんですけど、でも本当に家族で出かけたりとかあんま好きじゃなくて、でも友達が「今日はパパと遊び行ってくる」とか、そういうのはほんと羨ましいと思うんですよ。なんか本当に人によるんだなって思いました。パパも好きだしママも好きだし。でも家族って形で考えたら、家族でいてハッピーってあんまなかったからなんか……もっと大人になったら家族っていいなって思うかもしれないし、今15歳だからそう思うのかもって思います。

 

ー思えるようになりたいとは思ってますか? NODOKA 思ってます。成人式とかで家族やったー(笑)  みたいな感じにはなりたい。

全員 家族やったー(笑)

MARO でもめっちゃわかります。なんか、ことあるごとにイベントごとで家族写真、みたいな。私、家を探しても家族写真が2歳とか3歳くらいから一個もないから。それってもう今から作れないじゃないですか。一回は経験してみたかったな、って思うと、ちょっと憧れてるのかなって思うんですけど。なんかあんまり親も家族っていうものがちゃんとできてない分それを補おうと思っているのか、仕事とか反対されたことは一回もないし、なんかめちゃくちゃたぶん甘やかされ過ぎてるくらい、めちゃくちゃお姫様扱いされて育ってきたから。家族円満とは言えないけど、そういうのがなくてもあんまり両親からの愛情には飢えてないかなって思います。

 

ー「family name」じゃないけど、簡単に切れるものでもないし、かといってそこに絶対的幸せがないといけないものでもないし。あくまで個人の集まりでもあるし……。

MARO そう。だからZOCに入って、そういう家族とかそういう家庭で育ってきたのも良いんだって思えるんですよ。昔は、アイドルだったら離婚ってだけで軽蔑されるじゃないけど、良くない家庭なんだって思われることを恐れてたけど。本当、だから「family name」に救われてる子いっぱいいるし。

NODOKA 私も友達とかが家族のことを楽しそうに話してる時に、なんかちょっと後ろめたい気持ちがあって……のどかは絶対家族の話とかできなかったから。なんかそういう気持ちがあったんですけど、でもZOCでいたら全然そんな後ろめたさはなくて良いなと思えて。本当に救われてます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー音楽は自分にとってどういう存在ですか?

KAREN 残された手段(笑) 私は言語化が激しく苦手で、それのせいで人生のあれこれを上手く進めてこられなかったので。音楽と向き合ってる時だけ自分の感情がちゃんと感情として湧き起こってくる感覚があるし、それがないと自分の思ってることも自分にもわからないままだったのかなって思います。自分の考えやこれからの願望もライブでパフォーマンスしてる時に気付くことが多いです。

RIKO ダンサーって普段声を使わないから、声を出すことにすごく引いてしまうところがあって。けどワンマンツアーでの歌うことの積み重ねを経て、ようやく踊りも歌も感情を出すためのツールには変わりないんだなってことが直線的に繋がるようになった。言葉を使う表現と使わない表現を今は並行してやっている身。だから振りを付ける時も、歌詞表現があるからこそ具体的に踊りで表現しちゃったらクサく見えるし、逆にそこから離れ過ぎてもダメで。エンターテインメントと芸術は違うから。そのバランスをすごく考えます。

MARINA 自分が聴く時もパフォーマンスする時も、元気を出すツール。乗れる曲が好きだし、私が歌ったら笑えるなって感じの切ない曲は聴くこともしない。だからあれとか聴かないです、「時~には~だ~れ~かを~(笑)」。それ私がやったらウケるなと思うし、そういう曲は聴かないです。

NODOKA ZOCの音楽という話になりますけど、伝えにくい感情や上手く言葉にできないことを音楽を通して伝えることができるっていうのはすごいなって思います。曲を聴くだけでファンの方がZOCの深い部分のことまでわかってくれているなって。

MARO 私はZOCができた時にメンバーに入ってなかったので、ZOCの音楽という意味では真っ直ぐ聴けない部分はありました。ずっとメンバーに入りたいなって思ってたし、悔しいなっていう思いがあったから。めちゃくちゃいい曲だなって本当は思ってたんですけど、周りの人にはZOC嫌いってめちゃくちゃ言ってました(笑) その時すごい靖子ちゃんのことが好きだったので、靖子ちゃんの近くで活動してる人がすごい羨ましいなって。でも私はジェラシーが一番原動力になるタイプなので、その気持ちがあったから今こうなれてるなって思います。

ーではZOCが今の自分にとってどういう存在になっているのかも教えてください。 MARINA ZOCは一言で言うと軸。ZOCがあるから他の活動もできてる。一個のことに集中すると、力んじゃって上手いかないなっていう状況が好きじゃなくて。自分が一番ちょうどいいバランスで、ちょっとゆるさがありつつ活動できる方がいいんですよ。ZOCはその軸になってるから。一つのことにガッて集中してやるのもかっこいいけど、自分は向いてないんですよね。

MARO この活動(アイドル)自体は長くやらせてもらってるんですけど、元々あるグループに後から入るっていう経験が初めてだったので、今でもふと自分を俯瞰で見ると夢みたいなことしてるなって思うことがあるんですけど、やっぱり聴いてた時より歌う側に立った時の方が歌詞の意味ももっと深く知りたいなって思うようになりましたし、なんだろう……ZOCの曲って簡単に発せないというか、日によって色んな私生活とかモヤモヤすることがあると良い意味で歌いにくい曲もあるんですよね。言葉にすごい力を持ってる曲が多いから、響きすぎて。そういう意味でも今が本当の意味で歌を歌ってるんだなって思います。

NODOKA 今までずっと聴いていた曲を自分が歌ってるってことが信じられなくて、ライブ映像見ても「え?」って思ったり、最初のライブの時にはファンの人に「カラオケ歌ってるみたい」とか言われたこともあったんですけど……でも、新しくできた曲をメンバーと一緒に歌うことになって、今まで聴いてきた立場よりももっと歌詞の奥深くを知ったりだとか、できる過程のこととかがわかってるからこそ、強い思い入れがあるし。普段は強い気持ちを言葉で発せられないのに、歌だったらなんでこんな自分が出せるんだろう? とか思ったりして。ZOCの歌を歌ってる時は素直になれてるなって感じします。

RIKO 今までは見るものを拡張させてくれる存在って答えていたんですけど、今は結構変わって、色んな意味で勉強の場。エンタメの勉強でもあるし、解像度の低いものに対するアプローチの仕方をする勉強っていうのもすごくあるし、集団の中に入ってどういう行動しなきゃいけないのかみたいな勉強でもあるかな……でもわりと平和的ではない、すごい戦争みたいですね、よくも悪くも何か戦ってる。外の世界と関わる分にも戦いみたいだし、その中でやっていく分にも戦いみたいなものがあって大変です。

KAREN 今までこういう質問をしてもらった時に、それぞれが色んな活動をしてる中で帰ってこれる島みたいなところだと思ってたんですけど、色々変化がある中で今その島自体がボロボロの海賊船みたいになってきたなと思っていて。帰ってくると言うよりかは、みんなが乗り込んでそのまま一緒に進んでいく場所になっているのかなって思います。私個人としては社会生活の補習をしているような気持ち、それは初期からあります。人とコミュニケーションを取って社会性を持って生きていくってことをすっ飛ばして、ここまで来たところがあるので。自分の感情を伝えるとか相手の感情を受け止めるとか、そういうことを学ばせてもらってるなっていうのは常々あります。

 

 

ーZOCを通して、自身の社会性やコミュニケーションに対する感覚が今もどんどん変化していってます?

KAREN 変わっていってると思います。まだまだ苦手なことですけど。相手の苦手なものもわかるようになってきたし。自分のここができないなぁ、とかこの人のこういうところがすごいなぁとか。そういうのを間近にしてずっと勉強ができるのはありがたいです。

RIKO 人と長期的な関係を築くのが、特に私とカレンは苦手なんですよね。

KAREN そうそう。どちらかと言えば単発的なお話の方が得意です。

RIKO 継続的で親密な関係を築くっていうのをこれまでしてこなかったので。人生においてイレギュラーな状況ですよね。

KAREN 人との距離の取り方がわからないんです。私はほんとにわからないです。

 

ーそれは、普通そんなに気にしなくていいことを気にしすぎちゃうってことでもありますよね?

RIKO 気にせざるを得ない環境も多かったんですよね。絶望を学びましたから(笑) どうしようもないことってあるんだなって。

KAREN どうしても自分が受け入れられないことって色々あると思うんですけど、でもそれを誰のことも何も否定したくはないなっていうのはずっとあるんで、どう自分の中で受け止めていくかだったりとか。否定はしたくないなっていうのが自分の結論だったので。

 

ーZOCの楽曲は強さがある分、アーティストとして歌と向き合うことを突き詰められるような状況も多いと思います。そことはどう向き合っていますか?

MARO もし自分がしんどい状況だとしたら、普通のキラキラしたアイドルだったら、めちゃくちゃ隠さなきゃいけないと思うんですよ。でもZOCの曲はそういうメンタルも落とし込んだ表現ができたりだとか、昨日は希望に聴こえた曲が今日は絶望の曲に聴こえるとかも面白さになるし、私たちは歌う側だけど聴く側の人たちのメンタルによっても全然違う聴こえ方がする曲が多いと思うから、自分の感情を無理に明るい方に向けなくても歌える曲が多くて、それはすごい楽しいです。普通に生きてたらこのメンタルで仕事できないってなるところを、このメンタルだからこそできる表現に変えてやろうって思ってます。

NODOKA 負の感情でもかっこよく見せられるっていいなって思います。

 

ーZOCの音楽自体が、良いものも悪いものも全て受け入れてるからこそ、どんな状態の自分でもその時の表現でいいなと思える、コンディション的にきついときでもそれはそれでいいんだと受け入れられる。アイドルとはどういうものだと今は思っていますか?

MARO 「自分もこんな風に悩むことあるから全然大丈夫だよ」みたいなことを発信していく、自分の弱みも見せていくことが許されるアイドルになってきてるかなって思います。それはファンの人がそういうアイドル像を受け入れてくれるような時代になったからっていうのもあるかなって思いますね。

 

ーではそれぞれ思い描くアイドル像はありますか? 理想も現実も。

RIKO ZOCうんぬんじゃなくてアイドルというカテゴライズということで見るんだったら、ほんとに言葉通りに偶像だったんだなっていうのはすごく感じてます。ZOCがそれをしたいとかしたくないとかじゃなくて、アイドルというカテゴリーのもと活動してしまうと、もう偶像は着いて回るんだなっていうのをすごい実感しました。若い女の子がやるっていう時点で、色々な目で見られるっていうのをとっても感じましたね。

自分がそういうことに対して拒絶感みたいなのがあるから、ついつい「言わなきゃいいのに」とか「黙ってればいいのに」とか、嫌でも見過ごせば上手くいけることに対して噛みつきたくなっちゃう。「そんなの嘘じゃん」みたいな。だからこそステージだけをやってればいいと思いました。結局ステージ上でやるものだけが本物なんだとしたら、それ以外のものって余計なことだし排除したいみたいな。期待をさせちゃうかもしれないし、逆に自分の足を引っ張るものでもあるかもしれないから。

KAREN 自分の理想の自分像に自分をゴリゴリに押し込んで、やる。変な言い方すると、演じるのが好きなんだなって気付いたので、そこはあんまり変わんないかなって思うんですけど、ZOCは張りぼての状態でやるアイドルではないので。でもそこから出る本当のものも楽しんでもらいたいなと思っているし、パフォーマンスを通して出てくる自分の本当の部分とか、本音だったりとか、本当の顔を理想と混ぜ合わせて、その混沌を全部楽しんでもらえるのが今のアイドルかなって思ってます。自分が見せたい自分も、つい見えてしまう自分も楽しんでもらえるアイドルでいたいなと思ってます。

MARO 昔までは手の届かない存在になりたいっていうのがあったんですけど、今は手に届かないよりも「こんなに私の生活に寄り添ってくれたなぁ、あのアイドル。ZOC」って、その人がおばあちゃんになっても思い出してくれるような近い存在になりたいです。

NODOKA 手は届かないけど心は近くで寄り添えるようなアイドルになりたいなと思ってます。

MARINA やる前は結構色んなアイドルを見ていて、女性も男性も。でもみんな結構卒業とかしちゃうじゃないですか。そんな時「なんで卒業しちゃうんだ!」ってずっと思ってたんですよ。私はこんなにアイドルになりたくて、でもまだなってないのに。まぁ小学生とかの時ですけど。こんな楽しそうなのに「みんななんで卒業しちゃうんだろう?」って思ってたんですよ。けどきっとみんな、自分が思うような結果にならなかった、とかの理由で辞めてると思うんです。でもその時まだ小学生とかだったから「アイドルやれてるだけで最高じゃん」って思ってたんですけど、いざ自分がやってみると、それ以上に大変なことがもっとあるなって思いますね。

 

ー現実を見たりしますもんね。では自分がアイドルしている上で、ファンに対してどうありたいと思いますか?

MARINA 昔から私はジャニーズが好きだったんですけど、何かファンの皆さんって言われるのに違和感があって、「私ファンなんだ(笑)」みたいにすごい距離を感じていたんですよ。それが正解なのかもしれないですけどなんか距離を感じてて。私はその感覚をみんなに与えたくないから、ファンの皆さんって言ったことないです一回も。だからなるべくオタクとの距離は近い方が好きなんですよ。近くありたいなってずっと思ってます。「アイドルです!」って感じよりかは、普通の人間がちょっと頑張ってるくらいの感じの方が好きです。みんなと変わらない存在でいたいです。

 

ーここからは共犯者である、大森靖子さんに単独インタビューをさせてもらいます。今の世の中は、断片的な情報でカテゴライズされたり、偏見を持たれたりすることも多くなっているとは思います。その渦中にあって、改めてZOCは稀有な存在になっているなぁと。色々な経験を経た中で、今の大森さんはZOCをどう捉えていますか?

SEIKO なんかZOCがっていうよりも、今の社会の個性の捉え方や人の捉え方、他を理解するっていうものが、カテゴライズされた短文の強い見出しで処理したり消費される。それが“理解”とされているなと。それは極めて暴力的だなって思っていて。それはすごく。解釈しているんじゃなくて、決めつけていることになるじゃないですか。

この状況が危ないっていうのはすごく言われてると思うんですけど。特に共感社会において共感の域に留まっているから、結局多数の共感を得られる“問題の少ない人”しか報われないような世の中になっていると思うんですね。相手の気持ちになるっていうことよりも。

で、問題の少ない人っていうのは、別に問題がないわけじゃなくって、そのやるべきことが社会規範の中にある人だから。そうやってこういう社会の中でルーティーンとして生きていける、で、そこでお金を稼ぐこともできて、自分の幸せも自分が担保することができるっていうこと。だからそれはその人は問題がなくて、その人を否定することもないんですけど。けど、そこにあぶれてしまった人は、そうしてもやっぱり生きられなくなっていて。そこの社会規範にいられる人にとっては、もう、エンターテインメントとかそのようなもので必要十分だったりするじゃないですか、文化っていうものが。

でもそのあぶれてしまった人ってにとっては、芸術はやっぱり“祈り”だから、そういうところをやっぱり(ZOCが)担っていかなきゃいけないし、自分が生きていく意義だという風にも感じていて。そこを救うシステムっていうのが、政治だったり色んなカルチャーにおいて成り立ってないんだなっていうのは、ひたすらこのコロナ禍の現状の中で感じてきたことなので。そこをやっぱりもっとやっていかなきゃいけないなっていう気持ちが今でもずっとあって。

ならば芸術を持ってして、その外側を向くことがタスクとして真っ当と思っていて、どうやったらそれが実現できるかと考えると、こう、もっと一人一人にピントを当てないといけない、っていうのが真っ当だと思っていて。相手の置かれている景色とか立場とか、経験したことないのなら入念にこう、経験則の人の文献や芸術文化を調べて、まだ描ききれていない部分を繊細に描くことで、その、こう、作ってきたものを肯定していくってことをしないと。

まぁ自分のように省かれてしまったり、あぶられてしまったものは生きていく術がなかったりするので、全員を救済することができない。で、“救済”っていうのは、いろんな国のいろんなカルチャーや宗教によって描かれてきたと思うんですけど、例えばこう、神の救い方だったならば“正しい行いをすること”。で、正しくないものは愛によって怒りを帯びて罪を背負う。それだと「“復讐”と“贖罪”の違いはなんだろうか」とか、やっぱり全員が正しい行いをできるわけじゃないので、人間なので、っていう時に結局悪いことしたもん勝ちの今の世の中で、で「全員が神になれないじゃん」っていうのがポイントだと思っていて。神が信じられるものと神になれるものしか結局は救われることがないし、その救われているものは誰かに悪いことをして悪者にされる、っていう。

やっぱりこう、勝ったものの暴論は正義なので、っていうところにおいて、真実は別に問われないっていうところがあると思うので、どうしてもそこで救えない人がいるっていうのは事実。例えばインドとかからきた仏教になってくると、まぁ自然回帰であったり、人はいつか死ぬ、っていう平等性において「この生は苦しむことだ」。そして生きとし生けるもの全て平等。それはそうじゃないですか? 生きとし生けるものもちろん平等で、鳥も虫も命を持っている。でもその自然回帰というところに回帰すると、人間というところに回帰していくと、人間が人間であって、自然であることは人間という癖を持つことだから、人間という脳と心を持ってしまうことを自然であるとすると自然にはならないという……っていう時に、人間に向いてないな、どっちも人間に向いてないなって思っちゃって、神になるか自然になるかなので。でも人間は人間じゃないですか? 

人間は人間っていうことを書かなきゃいけないなと感じているので、人間回帰的であるべき、だとすると本当の平等や本当の差別のない世界とは全てのこの最後、描き切ることでしかなくて。それはこの世界に乗っている人の数だけ曲を作ること、と自分では思っているので、不可能ではあるけどある程度のパターンではあると思うので、人間の癖とか。それはなんか増やせはするなっていう風に思っていて。それはなんか、やる意義かなって思います。

ー大森さんの目指しているものは、おぼろげながらわかります。ただその作業=タスクって凄まじいじゃないですか。そこをキープできるモチベーションはどうなっているんだろう、と思います。限界が来るんじゃないかと心配になるくらいなんですが、それはどう保っているんですか?

SEIKO その作業自体……例えばアイドルという文脈で言うと、落ちサビで落ちて心を表現して、最後の大サビでみんなでユニゾンしよう、とかある程度の感じがあって、それをどう利用して壊していくか、そういうのを考える作業自体は、ただ楽しさしかないし。

 

ー音楽という部分での仕組み作りというか、そっちは楽しいんですね。でも本質的な、一人と向き合うことの重さはすごいじゃないですか。

SEIKO それ以外の作業がたくさん現れていくじゃないですか。そういう時に、自分の器では限界があるので人の力を借りているんですけど、その“人の力を借りている”っていうプロジェクトも表立ってはその人の力を借りている“大森靖子”のプロジェクトになってくるので、まぁ私に責任があることになるわけで。その重さみたいなものに耐えきれなくなる時はあるんですけど、でもそれも人生でやるべきこととして、それをやっていく術として、1年前くらいは何個か人格を作ってこのパターンの時はこの人格、っていうのをやっていけば成立するなと思ってやってたんですけど、それはどの側面のペルソナを誰が受け取るかで変わってきて。社会的にはこれ、この人にとってはこれ。っていうのを使い分けてるので、その見え方が違った時に、違う仕事をしてたら許されない時が訪れる。こういう人なのに「お前何やってんの」っていうギャップが生まれちゃって。たぶんそういうことがインターネットの中ですごく起こっていることなんですけど……。

 

ー自分はそれぞれ人格を分けてやっていたけど、周りからは側面ごとで判断されてしまう時がある。

SEIKO そうですね。でもそれだったら、その全てを受け入れられる全人格を、全タイミングで同時に内在させる人間になればいいんだってっていうところまで至りました。

 

ーそれはもう人の器のキャパとして限界がくるというか……。

SEIKO そうなんですよね。でもたぶんいけると思うんですよ(笑) いけると思うために自我を破壊し続けなければならない、破壊し続ければまた作れるので。

 

ースクラップ&ビルドを繰り返せば、確かに理屈上はできると思いますよ。

SEIKO 理屈上はできるじゃないですか。ただスクラップしてビルドするのだって自分の手癖でやっちゃうので、結局似たような……(笑)

 

ー確かにその問題も出てきますね。

SEIKO そうそう、結局似たようなのを作っちゃうんですよ。前よりはいいのを作れるけど、似たようなのを作っちゃうんですよ。そしたらまたそれでもダメじゃんっていうことが起こって、それをし続けるっていう作業ができていることが生きる意義。

 

ーそうなると、スクラップも本当にもっとスクラップしなきゃいけないんだってことですよね? でもそのスクラップの作業もかなりのエネルギーを使うのでは。

SEIKO でもちゃんと“絶望できる”っていうのが、まだ望みがあるっていうことだから。希望も絶望も望みがあるから。そのスクラップって「壊す時は絶望で、創る時は希望」って簡単に分けちゃうんだとしたら、どっちも虚無ではない。だからまだやっていける。

 

ーでもそれ、結局虚無に向かってませんか?

SEIKO あはは(笑)そうですかねー? まぁでも虚無とは死なので、そうなったタイミングで死ぬしかないんで(笑) 

 

ーそんなの聞いてると、それはどうなのかって思っちゃいます。

SEIKO まぁでもやる人いないんで、やるしかない。

 

ーいないですけど、それを一人の人間の体で支えていくのはどうかと思います。

SEIKO どうかと思う(笑)でもそれをしないと、終わる。終わってしまう(笑)

 

ーそれ完全にダメですね(笑)

SEIKO なんかないですかね、他に手段(笑)

 

ーその話の理屈もわかりますし、そこを目指すとそういう作業になるのもわかります。でもこういう世の中だから、断片的に取られて誤解をされることもたくさんある。それさえも調整しつつっていうのがほぼ不可能だと思います。でもそれを気にしないっていうのも世の中的に、許されない。

SEIKO まぁ関係ないと言えば関係ないですよね、芸術がある場所が違うので“not for youである”で、その人にとっては“not for meである”ってだけなので、関係ない。関係ないですけど、自分が救済されるべきだと思っている人は社会に乗っけないといけないという実務があって、その人が社会に乗ってない状態で救われて生きているってのは全く望んでなくて、あくまで社会性を持った状態ってのに持っていきたいと思っているので。病気だろうがどういう性別であろうが、その中に持っていかないと。

 

ー言ってることはすごくわかりますが、やっぱりそれは虚無に向かっていくというか。これは誰であれ、一人の人間の限界を超えていると思うんですよ。言いかえれば学校の先生がクラス30人の生徒と向き合えるかと言ったら本当の意味ではかなり大変で。

SEIKO そうですね、究極教師やった方が良かったのかなってよく考えます(笑)

 

ーそれを音楽というツールを使いつつ、こういう規模感でやっていくっていうのは……。その性格だと無理があるというか、どこかで限界が絶対来るじゃないですか。

SEIKO あはは(笑)そうですね。まぁでも、限界を突破していく(笑)

 

ーご自身がキャパを超えて殻を破っていってるのもわかるんですけど、でも一人の人間の器の限界をとうに超えてるので……それはダメって感じですね(笑)

SEIKO あはは(笑)どうすればいいですかね~。

 

ーやっぱり全部は無理だと思うんですよね。そこを諦めるっていうのもまた違うと思うんですけど。たぶん、知っちゃったり増えちゃったりすると見捨てられないんだと思いますし。

SEIKO うん、そうなんですよね(笑)。たぶんやりすぎなんですよね、一人に対して。なのでそれが、愛情が向かっていかない……っていうかまぁこう……私から見たら拒絶されるというタイミングが現れるんですけど「なんで私には(愛が)もらえなくなったのか」っていうたくさんの復讐が起こってくるわけなんですけど、そこと向き合う時間もないし、なんというか……。

 

ーそれも出てくると思います。そこまでの責任を追ったときに。仮に結婚して家族になればそこまでの責任を負うことになると思うんですよね、社会的にもマインド的にも。でもそこまでいけないわけじゃないですか、限りなく近づくとは思うんですけど。

SEIKO いけるんじゃないかなって(笑)

 

ーそれが相手一人ならいけると思いますよ。一人とか二人とか。でも今の量感は少なくとも難しい。

SEIKO でもたぶん10倍、100倍労働すればいけんじゃないかなって(笑)。思ってるんですけどね~。

 

ーそれは絶対限界きますね(笑)

SEIKO なのでもうちょっとあの、応援だけしてもらえればいけんじゃないかって(笑)もうやるんで、せめて応援してくれたら(笑) なんかそこまでは描けるんですけど、才能あるから人も付いて来るんですけど、その、道筋を辿るみたいなのはないですね、私に。何年かけてここまでやって、みたいな。いや、今すぐやらないと! って思う。

 

ーすぐ100%で行くからですね。強いて言うなら、その仕組みが良くないかもしれないですね。中長期的なプランニングがないというか。

SEIKO そういう相方みたいなのがいると良いなとは思います(笑) だからよくテレビとか見てて、芸人さんとかコンビとかいるじゃないですか。ああいいなぁって思います。

 

ーそこを少し補ってくれる人がいるだけでも違いますね。ですが、そのパワーに追い付ける人何人いるのかなって……。

SEIKO そう、自分と同じ馬力積んでる人がいないから。

 

ーそういう環境にいると、ご自身も落ちそうになることもあるじゃないですか。気持ちとは関係なく、普通に体調悪いとか頭痛がひどいとか、そういうちょっとしたフィジカル的に弱ることも簡単に影響するでしょうし。

SEIKO でもライブやってると、そのライブに来てる人の分の器がもらえるっていう作業なので、それさえ続いてれば結構やっていけるところはありますね、なんか。

 

ーファンがパワーの一部になりますよね。一番応援してくれるところですので。

SEIKO 応援って気持ちをもらってるだけじゃなくて、その人の人生ももらってる感じになるので。だからそれが止まることが一番怖い、ライブやってれば何とかなる。

 

ーそれこそこのコロナ禍でライブができない時は、かなり重たかったんじゃないですか?

SEIKO そうですね、ライブやるっていうことが生きる作業なので。やっぱり音楽なので空気を振動して伝えなければいけない。“ただ楽しんでるだけ”っていう風にも見えるし。だけど、自分の生活が成り立たないことを、誰かのせいにすることが生きるために必要なことだったりする人もいるわけだから、そういう人とぶつかり合ったりすると、なんか無駄な時間だなぁと。

 

ーその方向でぶつかってしまうともったいないですよね。

SEIKO 対立はそこじゃなくて、視点をもっと別のところに、同じ人同士が向き合えばもうちょっと変わっていくんですけど……そういった風当たりはやっぱり強い。

 

ーそういう問題も入ってくるわけですよね。ただでさえやってる作業は困難を極めるのに、今の世の中の状況で、そういう風に見る人も現れることでよりやりづらく。

SEIKO そうですね、そこに関しては自分や自分のプロジェクトの心配ももちろんあるんですけど、何かもっと大きい目で見てますね。音楽業界、エンタメ業界、文化とか。エンタメとカルチャーは違うから、カルチャーをかき集めてエンタメにした人たちが、打撃を受けるのはそりゃそうだろって思ってる部分もやっぱりあって、商業化しちゃったことによって、こういう時に商業的に打撃を受けるのは当たり前のことなので。だからといって文化の方も共倒れになるのはおかしいというだけで、そこを紐付ける必要はこういうときに限ってはないんじゃないかなというので、わざと気持ちを突き放して見てる時がある。

 

ーだからやはり、やろうとしてることと今の世の中の状況が複合的に混ざってると、かなり難しい作業に……。

SEIKO でもやりたいことだからしょうがない(笑)

 

ーやりたいことをやってるのはわかるんですが、フィジカルとメンタルの限界は絶対ある。やりたいことをやってるから、大変だと思っちゃいけないとか思ってないですか?

SEIKO それは思ってないですね。でも、やりたいことやればいいじゃん、っていうのが正しいとはあんまり思ってない。やりたいことやるためには一番必要なのは継続なので、継続していける環境の保全。メンタル作り体力作りは重要だなって自分ではわかってるけど、それを人に対しては言えるけど、自分に対してはできない(笑)

 

ー全然できてないと思います(笑)

SEIKO あはは(笑)できないんだよね、わかります?

 

ーはい。全然ダメですね。

SEIKO 全然ダメ(笑) どうすればいいんだろう、どうすればいいのかなって思ってまぁいいやってなっちゃうんですよね。

 

ーそれは絶対ジワジワ侵食してきますから。

SEIKO ずっとなんか、生贄みたいなのが用意されてる気がしてて。例えば私が死んだりしたら絶対100人、1000人単位で後追い絶対いるんですよ、もうそんな怖いことないじゃないですか。

 

ーそれを考えると……ということになってきますよね。

SEIKO そう、でその選択肢がなくなるじゃないですか。というと、もうやっぱりやるしかなくなるから、壊れる、再生、壊れる、再生のルーティーンをまたやるしかない。

 

ーそうなると、本当にただのつぎはぎ作業になってくるんですよね……。

SEIKO そうなんですよ。やればやるほど壊れていく……けどたぶん行けます(笑)

 

ーいや無理です。オッケー! とはならないです。

SEIKO オッケーってならない?(笑) でもダメって言って終わらせていいものじゃないので、個人的にもグループ的にも。

 

ー今背負ってるものが大量にありますから。終わらせることさえもできないですよね……。

SEIKO まぁでも自分を犠牲にしていいものでもないなっていうのは最近わかってきたので。でも救い方はわからないですね、自分だけは。自分だけは救わないまま人を救っていくっていう(笑)。みんなどうやって自己救済してるんだろう? だってよく言われてる、承認欲求とか自己実現って全部とっくに秒でできてるわけじゃないですか。で、他己救済を始めて行った上で自分だけが壊れているっていう、ここの自己救済はみんなどうやってるの?(笑)

 

ー他己救済の量が多すぎるんですよ。その量をやると当然、限界が来るんです。

SEIKO 死んでますもんね、やってる人みんな(笑) 見てたらわかるじゃないですか、目死んだなとか。でも目生きたままそれをやるとこうなっちゃう、でも生きたままやりたいんですよね。

 

ーそれは無理とは言いたくないですけど……何か方法があるのか……。

SEIKO けど永劫ではないじゃないですか。

 

ー普遍的には与えられないものですよね。それぞれの人生ですし、それぞれの家族があることを考えたら永劫ではない。

SEIKO だとするともう、パンクでありロックであればこれでいいかなって(笑) 気持ちには。でもその同志と思って活動してたクリエイターとかもいたんですよ、でもある程度来ると絶対に自分を守り始めるじゃないですか、そういう人に対しては結構裏切られたって思っちゃう(笑) ああー、それやるんだーみたいな(笑)

 

ーでも周りにそう思ってしまうからこそ、自分はそうできないって思いますよね? 自分自身も裏切ることになるし、もうそこから逃れられなくなってますよね。

SEIKO うん。でもそれは自分が最初に決めた生き方だから(笑) それに癖だからどうしようもないなって。

 

 

ーやりたいことなんだということもわかりますしやってきたんでしょうし、そこに喜びも感じてるんだと思います。でもドクターストップですね、タオル投げたい。

SEIKO タオル投げたい(笑) みんなそう思ってると思うけど、私ももう無理だよとは言うけど、誰も辞めさせてくれない(笑) 無理だよね、自分が止まったら色んなもの止まりますもんね。でも無理だよとはよく思いますもんね、無理だよ無理だよって言いながらやるのはまぁ嫌いじゃない(笑) 性癖にするしかない。イチ抜けたとか、次の世代にっていうのもまだ違うなっていう。自分がやってるまま継承していかないと意味がないと思ってやっぱやってるから。でもなんか分散? は考え始めている。

 

ー確かに形を残して分散化させて……、形式美だけが残っていくかもしれないですけど、それでも救われる人はいると思います。

SEIKO そうですね。なんかプロジェクト増やす方が、大きくしていくって背負うものも増えるかもしれないけど、分散できるならいいかなって。

 

ーでも結局、そのプロジェクトひとつひとつ、ひとりひとりも見ていくんでしょうね……見えるなぁ。

SEIKO そうでしょ、見えるでしょ私の半年後(笑)。 私も見えてるんですよ、あはは(笑)。 私の半年後、分散しようと思って増えてるんですよ、絶対。怖い怖い怖い(笑)。 怖いなぁって今思ってる。怖くない?(笑)。

 

ーすごく怖いです(笑)

SEIKO そしたらまた増やせば(笑)。 もうしょうがないよね、癖だから。自分が思ってた自分と違う化け物になってる気がする。元々化け物であって、だからこそ天才であったわけだけど……そうじゃない化け物になってる気がする(笑) それにまだ慣れない、不慣れ。

 

ーだって違いますもんね。

SEIKO 違うからね(笑)。 でも、そうやれれば楽なのになって思います、そんな性質だったら。あんまりヒールじゃないのが嫌ですね、自分がもっと性質がヒールだったらやりきれるんですけど。意外に優しいんですよ(笑)。

 

ーそのギャップが常にあるからですよ。思っている像と、実際の像と。

SEIKO うん(笑)。 まぁでもそれがアイドルだとすると、意味的には(笑)。

 

ー偶像ですからね。 SEIKO そう、私が私を崇拝して創っている。アイドルをちゃんと誰よりも一番やってるぞっていう認識で(笑)。

 

 

PHOTOGRAPHY : YOKO KUSANO STYLING : RIKU OSHIMA HAIR & MAKEUP : KYOKO INTERVIEW : SADANORI UTSUNOMIYA LIGHTING : TAKASHI WATANABE

 

*このインタビューは2021年12月30日に発売されたVI/NYL #003のために実施されました。

 

■VI/NYL