#005-DEAN FUJIOKA

#005-DEAN FUJIOKA

DEAN FUJIOKA

Instagram@tfjok

2004年に香港でモデルの活動をスタート。映画「八月の物語」(05)の主演に抜擢され、俳優デビュー。2006年に台北へ拠点を移しドラマ・映画・TVCFに出演。2009年に音楽制作の拠点をジャカルタに置き1stアルバム『Cycle』を自主制作開始。2013年に日本で1stシングル「My Dimension」をリリース。2015年以降は拠点を東京に置き、国内ライブツアーを重ね、2019年に2ndHistory In The Making』をリリース、アジアツアーを成功させる。202112月に3rdアルバムTransmute』をリリース。また、自身最大規模の18都市20公演の全国ホールツアー“Musical Transmute”Tour 2021を開催。2022128日には自身が企画・プロデュース&主演を務める映画『Pure Japanese』が公開予定。

 

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一つの産業からはみ出てしまうことは批判されがちだ。そもそも偏見が邪魔をして真っすぐに受け止められづらい。だが逆に問いたい。伝えるべき物語がある場合、それは一つの手法で伝わるのか。あらゆる手段を用いて、多角的にアプローチをする方がよほど伝播させるという点においてコンシャスなのではないかと言うDEAN FUJIOKAが提示した一つのメッセージ『Transmute』。その物語の一端を、VI/NYLによるアンサー的ビジュアル表現とインタビューという形で補完したい。

 

ー今回はなかなか特殊な撮影にご協力いただきありがとうございました。

久しぶりにこういう撮影をしたから懐かしかったです。こういう「ザ・モデル業」みたいな撮影は香港時代を思い出します。香港ではそういう仕事が多かったので。普段ここまでしっかりコンセプト立てて撮るのは、モードの仕事の時ぐらいですね。

 

ー先日リリースされたアルバム『Transmute』に感化されました。DEANさんがこんなに挑戦的でコンセプチュアルな作品を発表されて、取材側も気合いを入れて挑戦したいと、オマージュのような気持ちで撮影させていただきました。難易度も高く、人によっては提案段階でお断りされるような内容だったと思うんですが、快く受けていただいて実現した結果だと思います、本当にありがとうございます。今回のインタビューは、DEANさんの音楽面をメインに聞かせてもらいつつ、根幹にある思想や哲学みたいなところも聞かせてもらいたいなと思っています。今回のアルバムを聴いた時に、現在41歳を迎えてなおこれだけ新たなことに挑戦し続ける行動原理が気になってきました。一般論ですが、年齢を重ねるごとに新たな挑戦って難しくなってくると思うんです。しかもある一定の地位を築いた人は、その場所自体に満足することもできるし、挑戦することでマイナスなイメージを生んだりするリスクも加味すると、より一層動きづらくなると言うか……DEANさんは音楽以外の面でも多岐にわたって挑戦していて、音楽もここまで意欲的で挑戦的なことにまず驚かされました。その行動原理の基にある部分は何なのでしょうか。

物足りないとか、不満があるからそれを変えていかなきゃいけない。単純に満足いってないってことだと思います。

 

ーそれはご自身に対することもそうですし、社会に対することも含めて?

どっちかというと、音楽の場合に関しては自分じゃないかと思っています。別の仕事になると距離感も変わってくると思いますが、音楽を作る時は、完全に自分が主体になってやるので。

 

ー努力の方向も色々あります。

自分にとっては、「死ぬ気で頑張る」ではなく、どっちかって言うと「殺す気で頑張る」みたいな感じなのが音楽なのかな。そうするとやっぱり、破壊し続けていかなきゃいけないという風に考えてます。

 

ー常に自分を破壊していく。

はい。作り替える、アップデートしていくっていう感覚が一番必要な分野かなって。色んな仕事をやっている中で、特に音楽はそういう気がします。

 

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ーこれは一般論ですが、人は30歳までに聴いた音楽を一生聴き続けると言いますよね。

言います。そうだと思います。

 

ーでもDEANさんは今なお世界の最新の音楽をチェックしているんだろうな、というのがはっきりとわかります。音楽に対する好奇心が尽きないのはなぜだと思いますか?

なんだろう。単純に音楽が好きだっていうことだと思うんです。もちろん、今まで通ってきた色んなサウンドも自分の中で無くなってはいないです。例えば曲によって今回リリースした『Transmute』の中だと、「Plan B」はすごくわかりやすいと思います。これは、自分の中では高校生の時にメタルとかオルタナティブ・ロックをやってた時のメンタリティーのまま、単純に楽器がディストーションのギターじゃなくなってるだけなんです。

 

ー構造原理としては同じですもんね。

完全にメタルです、これ。メタリカの曲みたいな。キメラ(※同一の個体内に異なる遺伝情報を持つ細胞が混じっている状態や、そのような状態の個体のこと)みたいな構造だと思います。

 

ーそれでメタルを作っているんだったら理解できますが、それを新しい解釈で作られているんですよね。

やっぱり時代は常に変化しているし、自分も変わっているし。今までの人生において、僕は変化の幅が極端だったんです。国を変えて、引っ越しして、そこで新たに生活するって大変じゃないですか。地元の人たちに分け入って、現地の言語を使って、現地の人と競争しながら、現地の通貨を稼ぐということを通算でたぶん4回ぐらい変更してきていて。それって自己破壊的な行為っていうか。だから、たぶんもうぶっ壊すってことに慣れちゃってるんです。

 

ー破壊行為がスタンダードになっている。

それで自分が大きく変化してきた。ポジティブに言うと成長っていうことにもなったなと思うんです。大きな環境の変化から得られるインスピレーションや単純に自分ではどうしようもない大局の流れみたいなものとか。どこに、どのタイミングでいるかっていうのが、個人にどれだけ大きな影響を与えるかっていうのを身をもって体験してきているので。ポジティブに捉えると変化の耐性っていうのでしょうか? 適応力を必要とするゲームみたいなものに対して、このルールでやることが普通になってる気がします。だから、きっとこれからもそういう生き方になるんだと思います。

 

ー今までの経験でそこが自然に備わっていて当たり前にできてしまっているんだと思うのですが、ネガティブじゃないにせよ破壊衝動みたいに出てくるのでしょうか? 飽きてしまうような感覚も含めて。

もちろん変化には「改悪」もあると思うので、常に変化が良いとは思っていないです。変わらないっていう選択をすることも、変えないっていう選択をすることも時に難しかったりする。だから、選択し続けるっていうのが、すごく大切なことだと思うんです。そこは自分のさじ加減だったりで、それがイコール自分の人生になると思うので、決断が人生観と直結するようになっていく。

色んな国だったり、スラッシャー(※複数肩書を持つ人)みたいな感じで色んな仕事をしてると、“共通して見えてくる部分”と、“かぶらない部分”があるんです。ある選択をする時に、自分の中で色んな角度から光を当てられると、たぶんこの辺だろうなっていう参考になる基準の精度がより上がるんです。だからこそ、変化するなら変化するっていう決断だったり、もしくはこの部分は変えずにいようっていう決断だったりが、その都度自分の中で明確に意図を持って決められるのかなと思います。もちろん、迷う時は大いに迷いますけど。

 

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ー明確な決断を繰り返して作っていってらっしゃるんですね。アルバムではそのバランス感覚で新しいサウンドも取り入れながらもポップさもキープしているという感覚が備わっているんだと思います。色んなものを見てきた量も多くて、トライアンドエラーもある。今作の全体の18曲のバランス感覚は、今伺ってきたお話を聞いた上でもやっぱり衝撃があります。

ありがとうございます。

 

ーこの構成、順番もDEANさんご自身が考えたのでしょうか。

そうです。マスタリングの時に色んな曲順パターンを作って、とことん聴き比べて、最終的にこの流れにしました。

 

ーこの流れもすごいバランス感覚だなというか。安易にフェードイン、フェードアウトではない。サブスクも想定されてるのかなとも思いました。断片的に切り取っても成立している感じもして。アルバムのパッケージは今回3パターン用意されていますよね?

MADSAKIさんの『Transmute(Trinity)』、信藤三雄さんの『Transmute(Lucaism)』、丸井元子さんの『Transmute(Epigenesis)』、それぞれ異なるジャケットなのですが、切り取り方、見え方、聴き方、どれを見てもそう捉えられるアルバムだなって思ったんです。もちろん今回数字の3=トリニティ、前作から3年、通算3枚目みたいなところもキーワードだったと思うのですが、全体のバランス感と見え方、角度を変えるだけでそれぞれのジャケのような見え方にもなるっていうところが、フィジカルのパッケージのバランスとサブスクで断片的に聴かれたときのことも含めて計算されていたのかなと。

ありがとうございます。嬉しいです、そう言っていただけて。自分が作ってるのは、究極一番シンプルに言うと物語なんです。これが例えば、じゃあ音楽、ソニックとして、アンサンブルとして、1曲単体だろうが、18曲の流れになろうが、もしくは写真を何枚も撮って並べるのか、映像フッテージを切り貼り繋いで映画を作るのか、どれでもコアの部分は一緒なんです。使うメディアは違うけど、自分が共通して一番大事にしてる、もしくは自分が勝負してるところっていうのは、物語を作る技術です。

 

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例えばこの18曲の並べ替えを、別の形で行ったとしても、違う解釈の大きなうねりの物語を作れる。ただ、それを『Transmute』っていうアルバムのコンセプトに基づいてやった場合のベストな形を目指して、この楽曲たちを選別し、ページをめくるように曲間の静寂も含めて収録してるんです。そして、ジャケに関しても、流通形態というプラットフォームにおいての「トランスミュート」の物語を描いたんです。バイナルやカセット、CDとか、全部が一度生まれたメディアで残ってはいますが、今流通の形が色々ある中で、それぞれは分散されてしまっているなと感じていて。

9月から回った全国ツアーも“Musical Transmute”っていうタイトルでやったんですけど、劇場の構造を学んで一個一個の劇場を空気から丸ごとウイルスがハッキングするみたいなイメージでやってて。だからデジタルプラットフォーム、サービスプロバイダーをハッキング、トランスミュートするとしたら、どんな置き方が良いか考えて、今年、年内いっぱい、年末まで変化を楽しめるような仕掛けを作って、たぶん2022年の年明け頃には謎が解けるだろう、みたいなことを想像しながら制作しました。

ゆえに先日出たパッケージの3つにはサブタイトルが全部付いてるんです。なぜ(MADSAKIさん作の)3人の子どもが写ってるジャケが最初に来て、それが『Transmute(Trinity)』と呼ばれ、その次に(丸井元子さん作の)自分が宙を舞ってる日の丸の逆色みたいなのが来て、それが『Transmute(Epigenesis)』と呼ばれるのか。エピジェネシスは、後天的な変異という物が遺伝していくっていう説なんですが、これは最終的に(信藤三雄さん作の)『Transmute(Lucaism)』のルカイズムっていうのにも繋がってるんです。このLUCAっていうのは、Last Universal Common Ancestorの略なんですけど、全生物最終共通祖先とか、現存する生物全ての共通祖先で一番最近のもの。わかりやすく言うと「あらゆる生物の共通の祖先」っていう説なんです。

 

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ー起源のような?

ゲノム(※DNAの全ての遺伝情報)を辿る話ですね。人間もそうですけど、犬も猫も鳥も魚も、全ての生物の根元が生まれたのは一度だけなのか否かって話だと思います。現代では、iPS細胞のように幹細胞を基に人工的に臓器を作り出したりしてるわけですが、何にでもなれる可能性の原理がある中で、そういう発想を基に、年末一番最後に出てくるデジタル版にも色々仕掛けを作りました。で、さっき言った『Transmute(Trinity)』のトリニティーとは何かって話ですが、これをデジタルリリースした10月29日の話になるんですけど、ちょうど広島でライブをする前日だったんです。その時、たまたまラジオキャンペーンで1日早く入って、空港から市内に行く時に時間があったから原爆ドームに立ち寄って。あそこT字の「相生橋」っていう橋があるんですが、そういう形状の橋ってなかなかないがゆえに原爆を落とされた時に目印になったんです。

 

ー空から見てわかりやすかったんですね。

そう、わかりやすいから。『Trinity』には、もちろん3枚目のアルバムとか3形態のパッケージとかにかけて、三位一体って意味もあるんですけど、アメリカのニューメキシコ州に人類が初めて原子爆弾の実験を行ったという実験場があって。負の遺産として残されてるんですね。その場所の名前が『Trinity』って言うんです。そして、『Transmute(Trinity)』のリリース日にたまたま広島にいて、ちょうど夕方だったからマジックアワーで夕日に染まる真っ赤な原爆ドームが見えたり。別に自分はその日を狙って行ったわけじゃないんですけど、そうやってどんどん勝手に運命みたいなものが派生していく、転がり出すんです。全てリアルタイムで、どういう風に物語の筋を汲み取っていくかということに繋がってるんです。“Musical Transmute”のツアー制作でも、脚本を基にライブコンサートの新しい形を作ってみたり。アルバム制作でも、楽曲制作時にまず映像作品にするような裏筋があって、そこから「サウンドにすると、歌詞にすると、こういう楽曲になります」っていう作り方をしたり。そういうトランスミュートをトランスメディアで、現在進行形で続けているんです。

 

ーなるほど、やっと腑に落ちました。この作品にはすごく細胞的な感覚を受けていて、広がりを感じるし繋がっていく感じもあります。それをちりばめて一つ一つが成立していますよね。緻密なバランスも、流動性も感じます。これをパッケージとしてまとめる作業は、翌日には変わってしまいそうでエンドレスな気もするのに、今この形として成立しています。その作業はナチュラルにできるものなのでしょうか。

いや、これはもう必然なのか偶然なのかわかんない、ってところまでとことん突き詰めて持っていきます。そこに関しては自助努力も必要だし、ジャズの即興演奏みたいなライブ感もあって、神話作りに対して自分のアンテナが立っていれば、変化の予兆みたいなものをつかみ取れたり。イタコ的なの、あるじゃないですか。

 

ー降りてきてるものがありますね、降ろすというか。

だから最初から全部ビジョンがあったわけでもないし、でも行き当たりばったりでも無い。過去に自分が影響を受けた創作物、もしくはクリエイターの方のアプローチを勉強していると、やってる中で走りながら見つけていく、って意外と多い。それこそ舞台稽古とかも、脚本がない状態で入ったりするじゃないですか。脱稿してから最終的につじつまを合わせる、みたいな。これって全部、実践とその組み換えの連続性だから、机上でやってても始まらない。例えば『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビで放送された時、緻密なディティールへの圧倒的なこだわりがあったからこそ、視聴者は強烈に惹きつけられた。最終的にそれが全体像の運命を決める。後日談で壮絶なスケジュールの中で作り上げていったと知って、また一度胸にこみ上げるものを感じる。とにかく生き物としての物語になるために細部にこだわる。大きなうねりを生み出すために、一つ一つの細胞が持つ可能性に限界まで働きかけるしか方法はないのだと思います。

 

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ーある程度ビジョンを描きつつも、紡ぎ上げていく中での自然発生的な部分も尊重している。音楽だけでこれだけ緻密にやっていると、DEANさんの全体像のバランスになってくるとスケールが変わってくるというか。音楽以外の活動も多岐にわたるDEAN FUJIOKAという存在となって他の活動とのバランスを取って、これも繋ぎ合わさっていくと、全部の細胞の交わり方がすごく難解になってくる可能性があるなと思っていて。そこを音楽だと、音で表現することに対してどう捉えていますか。

例えばなんですけど、今回の1曲目の「Hiragana」は、たまたま制作期間が大河ドラマ(※NHK大河ドラマ『青天を衝け』)の撮影期間と被ってたんです。自分が演じた五代友厚っていう方の役作りで色々彼のことを考えてたら、ある日夢枕に立つみたいな感じで、夢の中で「君はこの曲を作りなさい」という啓示を受けたような気持ちになったんです。だから明治維新のテーマ曲みたいな感じで、当時の諸先輩方がどんな気持ちで後世のために国家を作り上げようとしたのかっていうのを自分なりに作った曲です。それで母国・母国語のイメージを持つ「Hiragana」ってタイトルにしたんです。時空を超えて情感をダイレクトに伝えるのに音楽は向いていると思います。

 

ー俳優の活動がナチュラルに影響することもあるし、それをそのまま受け入れているんですね。

例えば「Shelly」とか「Searching For The Ghost」とかも、タイアップのオファーが先にありきだったので。この時はフジテレビ月9ドラマ『シャーロック』の主題歌とオープニングテーマの両方を作ったんです。そうすると、もちろん『シャーロック』っていう物語とその見せ方を勉強するじゃないですか。毎週月曜日の9時に放送されるってことを考えて、どういう曲が鳴ると良いか。劇場の幕が上がって、それからエンディングでどん帳が下りてまた来週! っていう流れをどう作るかってことを考えて、2つの楽曲を作ったんです。「Searching For The Ghost」の方は都会の闇を登場人物がパトロールするみたいな、色々と見たくない業の深い部分も含めて暴いていくっていう。「Shelly」に関してはそんな男たちをすごく俯瞰の目で見る女神様の歌みたいな感じで。運命の女神みたいな。そうすると毎週いい感じでオンエアが転がっていくなと思って。そういう作り方をする時もあります。

 

ーそういった楽曲がこの緻密なパズルの中に納まってくるのがすごいなと。

循環ですね。逆も然りで。音楽活動をして音楽制作を続けてきたから、自分が企画・プロデュースで映画を作るっていう発想にもなったと思うんです(※2022年1月28日『Pure Japanese』公開)。もし自分が俳優だけやってたら、たぶん映画監督をやってみようとか、企画・プロデュースをやろうっていう発想にならなかった気がする。音楽をやってると、シンガー・ソングライターだったら詩・曲を自分で書いたり、アレンジもやったり、セルフプロデュースをすると制作工程を一通り知るじゃないですか。そうすると、この部分ではこういう作業や責任がある、とか、また別の産業に話を移すと、この考え方はこっちだと当てはまるけど、あっちではちょっと違うみたいだなという感じで比較できる。それは、アイデアの等価交換、次元をワープさせる異化みたいな感じで、どう話を進めていけばスムーズに流れるか、その構造がより明確に見えるんです。もちろん『Pure Japanese』って映画を作った時にも関係していて、今自分たちがコミュニケーションの道具として、日本語という言語を使っているけど、もしその言語が例えばコンピューターのOSみたいな感じで人間にインストールするものだとしたら……そして、もしその言語OSが、得体の知れない集合体として独自の目的であったり、自らの意思を持っていたとしたら、我々人間一人一人というのは言語DNAを運ぶ乗り物でしかないとか。

 

ーただの器ということになりますね。

『Pure Japanese』は、それを基に企画を立てて映画にしたんです。だから一つのテーマを違う角度から何度も検証して、そこから違う仮説を立てたら、その角度で当てた光にはこういう影が生まれてとか。そうやって、ある時は映画になったり、別の角度の光を当てるとある時は楽曲になったりとか。ちなみに『Pure Japanese』は去年の9月に日光でずっと撮影してたんですけど、山籠もりみたいな生活だったんです。アクションの仕事だったので、役作りも含めて毎日体を動かしてたんですが、体を動かすのも休むのも仕事だったりするじゃないですか。そういう時に、外は緑多い霧深い山々の景色で、畳の部屋で正座して制作したのが「Spin The Planet」でした。ちょっとSDGsじゃないですけど。人間の心に傷が付いたり、地球という命にも環境破壊で傷が付いたときにどういう風にそれを癒していくのか、もしくは向き合っていくのか、やり直すのかっていう、ダブルミーニングでかけて作ってみたり。

 

ー全部が相互で作用し合っている。

そうです。例えば、コロナ禍で生活の最低限をキープするのも難しくなってしまった人たちに対して、ファンドレイジング(※非営利に同志から資金を募る手法)をしたときの一つのシンボル、トークンとして絵本(※2021年4月に『ふぁむばむ』リリース)を作ったのも、色々な相互作用が働いてるんです。この絵本には『FamBam』という自分のファンクラブのコミュニティー精神が反映されていて、マスコット的なキャラクタ―であるFamBam Monstersたちが絵本という違うメディアへ旅することで、一周してまた新しい気付きを教えてくれたり。特にコロナ渦ということもあって、そういった活動を始める意味がさらに増しました。また音楽制作の話に戻ると、「Plan B」という曲はキメラみたいな構造をしてるんですけど、もともとあったPlan AからいきなりPlan Bに変更するみたいな。いきなり世の中が変わるっていう、そういう体験をした今の我々にはそれが現実だし、特殊な構造の方が表現としてむしろ説得力があると思ったんです。

 

ー展開が急激に変わる曲ですよね。確かにそれは今の世の中にとっては現実的だと思います。

だから、この構造がリアルに響くっていう。「Plan B」ができた後、去年の3月、4月とかに家でずっとスマホを見てたら一日終わっちゃったみたいな時期があって、そういう時の気持ちをじゃあ「Missing Piece」とか「Sukima」とか「Runaway」とかにしてみたりとか。結局全部、違う角度から光を当て続ける感覚で何度も何度も反すうしてるんです。

 

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ーこれだけ多角的で質量の高いアウトプットを見ると、インプットの量が膨大なんだろうなとも思います。そのインプットはナチュラルに摂られているのでしょうか? サウンドや、あらゆるものからの探求心や好奇心だったり、音楽に関してはさっきおっしゃっていた、シンプルに音楽自体が好きっていう気持ちの他にもあらゆる方向に向けている熱量が凄まじいなと。パンクしないのかなと思ってしまいます。

なるほど。自分が取ってるアプローチって、構造の力をまず理解しようとするんです。それが自分には合ってる。構造に対しての好奇心っていうのは尽きない。あとは一番最初に言った通り、現状に満足してないっていうような、ここで終わってたまるかみたいな渇きがあるんです。それがエネルギーに変わっています。で、何に対してどんなアプローチを取るかっていう部分で、とにかくまずは構造を理解する努力をする。人体の構造とか。だから楽しいんです。

 

ーインプットも構造理解への探求を基に楽しんでるんですね。行動原理の基がそこにあるから続けられるし、楽しくできる。

だから映像を作るときも、一点突破的に、例えば演じるってことをずっと突き詰めていくのも一つの道だと思いますし、もし違う角度から光を当てても、フィルムメーキングっていうアートの成り立ちに対して、また違ったリスペクトの込め方だと思うんです。興味があるからやっぱりもっと知りたいって思うわけだし、どうやったらより良い作品を作れるかっていう。作り方から作る。音楽に関しても今回初めてのトライをしました。1枚目のアルバム(『Cycle』)の時は詩・曲をギターとかで作って、最初は打ち込みとか全然できなかったので、サウンドプロデューサーとアレンジを一緒にやって。2枚目のアルバム(『History In The Making』)を作った時はコライト(※チーム編成で作る手法)のアプローチを取り入れて、色々自分じゃできないことを学んでいった。今回の3枚目のアルバム制作では、初めて詩・曲を書いて、かつセルフプロデュースで最初から最後まで作ってみたりしました。「Scenario」という曲とか。構造を知っていくことがよりモチベーションに繋がると思うんです。自分が自分に追い付いちゃうとたぶんそこからはルーティーンになって、どこかで慢心が出てくる。もしそれで結果が付いてきちゃったりしたら、もうこれでいけるじゃん、みたいな感じになっちゃうかもしれない。だから常に、意識して自分をピンチに持っていかなきゃいけないと思ってます。

 

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ーそれをまだやり続けているのが、すごいエネルギーだなと思います。

たぶん、自分はずっと日本以外の所で仕事してたので、世界中どこに行っても生きていけるって思ってたんです。自分だけだったら。でも、そういうことでもないんだなって思うようになって。色んな縁があって……震災があったこともそうですし、自分が福島生まれだったりもするから。一度切れた日本との縁が、巡り巡ってまた繋がっていった。自分が国籍を持ってる国で生活とか仕事をするのは、ビザも必要ないし、色んな権利が保障されている。外国に住んで仕事することに比べたら、母国語も使えるし、色んな点において自国民として有利な状況にある。ほかの国に住んで仕事をしてた頃は、まずそこにいるために色んな努力が必要で。競争にハンディキャップがあるし、なんなら結果に対してもハンディキャップがあるし。だから、そっちがデフォルトの感覚として深く刻まれて今も残ってるんです。

 

ーそこですよね。デフォルトがそこにあるから、もうどの状況でも何とかなるという感じはあると思います。

ちょっと申し訳ないみたいな気持ちになっちゃうんです。せめぎ合ってないと、過去の自分に対しても申し訳ないし。トラウマみたいなものかも知れないですね。あんな苦しい思いをしたのは何のためだったんだ、っていう。このままじゃ済まさん、って強い気持ちはたぶん、そこからも来てると思うんです。応援してくれている方々に対しても、結果を出すから、この人が言ってたこと、やってたことって正しかったんだ、って流れになると思うので。要は説得力ってやつですね。別に誰かを説得するためにやってるわけじゃないけど、やっぱり結果は出さなきゃダメだと思うんです。あの人、色んなこと言ってたけど気付いたらなんかいなくなっちゃったね、じゃなくて。生み出した結果があるから、やっぱり正しかったんだっていう。結果が伴ってやっと希望が生まれる、だからやり続ける。前に進み続けなきゃいけない。

 

ーそれが不安要素になって怖気付いてしまうというか、どんどん行動ができなくなってしまう人の方が多いと思うんです。結果を求めるがゆえに、恐怖心に追われてしまう。だったら挑戦すらしない方がいいと。だから、それを未だに追い込み続けられるというのが無茶苦茶タフだなと。根底に構造理解に対する探究心があるから、ただ公式に当てはめればいいでは納得しない、なぜ当てはめればいいのかを知りたいというマインドですよね。

もちろん結果に近付く可能性を高めるって意味でも、さっき言った構造の力を理解するアプローチは絶対役に立つと思います。そしてもう一つ、フィランソロフィー(社会貢献やボランティア的な活動とそのメンタリティー)的な考え方で話すと、例えば従来のやり方をそのまま続けてたら世の中が大きく変化したときに失われるかもしれない機会損失であったり、極端な話、命が失われる確率が上がるかもしれない。それぐらい現実はダイナミックだし、命は脆い。今も戦争で人が亡くなったりしてるわけだし、国によっては暗殺とか日常として普通にあるわけじゃないですか。だから国家というものも、ちょっと舵の取り方を間違えると消滅する可能性がある。そう考えると、まず自分が毎日やってることで、どういう風に少しでもポジティブな方に持ってくかっていう行動が巡り巡って、それは自分のためでもある。

例えば、音楽産業で言うと、コロナ禍の影響でライブができなくなった時、配信ライブやりましょうってなりましたよね。でもその時点で配信ライブのやり方って手探りだから、人間のアテンションスパンが短い中で、スマホやテレビ画面で見てる観客を、どうやってその世界観に惹きつけ続けるかっていうのは、どんな良い楽曲をどれだけ良いパフォーマンスでやったとしても生理的に無理だと思った。従来のライブコンサートとルールが違うわけだから運動会的な力学では成立しない。ってなった時に、自分はホラー映画のアプローチを取るべきだと感じて、配信ライブを作ったんです。ホラー映画のフォーマットって、コツコツサプライズを入れていくんです。5分に1回とか。ジャブ打ちしといて、また来る、と思いきや実は来ない。みたいなことをやってると、人間って生理的に惹きつけられるわけです。

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そして時は流れて、コロナが少し収まってきたことで、また有観客でライブできるようになったわけだけど、まだソーシャルディスタンスを保って、一緒に大きい声を出して歌ったり、騒いだり、踊ったりできないですよね。そうなった時に、ステージ上の演目はどうあるべきなのかって考えると、またそれは違うルールだなと。それで、例えば舞台劇を観るとき、ミュージカルや演劇を観るとき、バレエやオペラを観るとき、お客さんはずっと座っていて、時に拍手するだけでも楽しめる。そこにいることを選んだ意味を感じられるし、一緒に魂が共鳴するような体験ができる。で、ライブ会場をそういう空間に変異させなきゃいけないって考えたら、脚本を書かないとダメだと思ったんです。だから“Musical Transmute”ってタイトルを付けて、プロットを基に演出を構成していった。楽曲アレンジはこうだ、照明はこうだ、舞台転換はこういう風にやりましょう、小道具はこれを準備しましょうみたいな。そうすると1時間半から2時間の大きなうねりの物語が生まれるんです。

もちろん一曲一曲を聴いて楽しむ音楽の楽しみ方もありますが、ステージ上で見せる映像作品として、もっと言うと生でやってる舞台劇として、そこに神話を生み出せるかどうか。会場ごとに、お客さんがいるその空間ごと、トランスミュートさせられるかどうか。それが勝負だと思ったんです。いずれコロナがなくなって以前のようになればそれが理想ですが、それがいつになるかはわからないですよね。例えば、その間に会社が潰れてしまったり、仕事がなくなって雇用機会が失われたら、住む場所をキープできなくなったり、衣食住のレベルが下がって、取り返しのつかないことになりかねない。

従来はこうやってたからそのままでいいと思ってやってると、自然災害や世相にいつ足元すくわれるかわからない。だからそこにある危機に対しては敏感でいなきゃいけないし、そういう風に仕事していると、自分が作る作品、音楽で言うとサウンドとかも自ずと変わっていく気がします。

 

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ーなるほど。だから、いつゲームのルールが変わってもいいような状態をスタンバイできているし、Plan BもCも準備できている状態ですよね。用意しないといけないことも提示していて、変移できる状態を水のように持っているんですね、きっと。

水のようにって良いですね。氷になったり蒸気になったり。

 

ー固まることもできるし、どうとでもなる。DEANさんのお話を聞いていると、すごく今の時代のリーダーだなと思います。

理想論ですが、一人一人がそうあると良いとは思います。一番危ないのが、例えば、手術がすごく得意で成功率100%みたいな腕の良いお医者さんがいたとして、重病の患者さんが来て、その先生だったら間違いない。ただ、手術は成功しても、患者さんは死んでしまいました、となったら本末転倒だなと。だったら、手術の腕は良くないかもしれないけど、患者を生かすっていう目的の中でベストを尽くして、患者さんがその後5年10年生きましたってアプローチと、どっちがいいんだろうって思っちゃいますよね。現実にはそんな無茶するお医者さんいないと思いますが、教訓として、システムを追求しすぎたり効率化を追求しすぎると、成功率の高いお医者さん的な話になってしまう。だから、自分もそうはならないよう気を付けています。

 

ーやはりDEANさんの真骨頂はそのバランス感覚です。システム一辺倒にならないように、自分でちゃんとセーブをかけて、エモーショナルな部分も残しながらロジカルな部分も残しているんでしょうし。この後何を作っていくんだろうという期待もしてしまいますし、見たこともない新しい表現も生まれてくるんだと思います。音楽でもない、絵本でもない、舞台表現でもない何かが生まれそうで、とても楽しみです。

今“Musical Transmute”のツアーで日本全国を回って、次これどうしようってもう考える段階に入って来ていて。このツアーはいわゆるホールクラスのサイズでライブを開催しているんです。これがいつか例えばアリーナとかドームのサイズになったとき、このフォーマットをどう成立させられるか。会場のサイズがある一定のサイズを超えると、どうしても大きい運動会的になっちゃう気がして、今まであんまり一定のサイズを超えた会場でのライブ開催をポジティブに考えられなかったんですけど、この“Musical Transmute”っていう戯曲なら、大きなサイズになってもこのフォーマットを当てはめられるようなデータのサンプリングが今回できたので、すごく前向きになって、トライしたいという風にやっと思えるようになりました。そもそもできんのかい、おまえそんなにお客さん呼べんのかい、みたいな話は、それはそれで現実論としてあります。ただ、理想としてやりたいって自分が思えてたかどうかがまずは大事だと思うんです。今まではそういう、何万という規模感にモチベーションを持ちようがなかったんですが、今はどうやったら良いかわかるから……だからめっちゃやりたい!(笑)

 

ーすごく面白そうです!

ドームごとトランスミュートさせる方法がもうわかったから。

 

ー想像がつきます。話は少し飛んでしまうのですが、Beyoncéが出たCoachella(※2018年4月開催)はご覧になりましたか?

観ました。Childish Gambinoとかもヤバかったですね。

 

ーまた違うんでしょうけど、ああいう規模に合わせた表現ができるのが見えているんだろうなと思いました。

思いつくんですよね。

 

ーそのサイズでの最適なやり方を導き出す。

その空間を使って神話を生み出す、っていうことをやりたいんです。

 

ーそこまで行ったときに、いわゆるライブの枠に収まっていない何かになっているんでしょうね。DEANさんが今発明家っぽく見えています。その次元に見えてしまうというか。

だからやりたいんですよね。どうしたらいいですか(笑)

 

ー自然にそういう話になってくると思います。

やりたいんです。やりたいと思えたことがすごく大きくて、自分の中で。そこに辿り着くためにも結果を出さなきゃいけないって。それが日々のモチベーションになっていますね。

 

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ー今なお、そのモチベーションをキープしている理由はそこなんですね。そこが見えると熱い気持ちでいける。進み続けられるし、圧倒的な熱量でこういうことをやり続けられているのも納得してしまいます。リーダーのようでもあるし、博士のような発明家のようにも見えます。

結局は最終的にステージ上に立っている人間が、キャップストーン(※総仕上げ)をはめなきゃいけないと思います。これも今回ツアーをやっていてすごく思い知ったところで。構造を作ったとしても、最終的には表現者としてその重みを背負って、かつ本番一発勝負でバチンと決めなきゃいけないっていう。

 

ー一人の人間のキャパは超えているように見えますね。そこまでの人はなかなかいない。

難しい。けどやらなきゃいけない。一般的に、餅は餅屋でプロが集まってプロジェクトって成り立つじゃないですか。もちろんそれでうまくいくこともあるんですが、いわゆる既存とは違うアプローチをするときや産業の壁を超えたときに、どうしてもビジョンや熱量が伝導しにくくなる場面を見てきたから。

 

ーそこの問題は出てくると思います。

最初にゼロからイチを作った人間と、イタコになって舞台に立って表現する人間がイコールで結ばれていないと、シナジーが生まれないときがあって。今回“Musical Transmute”でだいたい全部で22曲やってるんですけど、例えば曲の並べ方にしても、他の演出家の方に丸投げして、これで物語作ってくださいって言ってもたぶん無理だったと思います。一曲一曲自分で作ったから、この曲はこういう作用や副作用があると理解しているからこそ、物語が生き物になる可能性が生まれるんです。

 

ー確かに、そこは相当理解が無いと難しいですね。普通は緻密過ぎて難しいと思います。

だから練習や実験をしながら、サンプリングデータを取りながら、アウトプットし続けるってことを色んなフォーマットでやることが自分の勝負であり、特訓であり、自分の役割なんだと思います。そういった定めというか、たぶん自分にとってはメディアの壁を越えて物語を作ることなんだという気がします。本来であれば産業の構造上、直接的には繋がらない接着面に熱量を伝導するような。そこさえ見失わなければ大丈夫な気がする。あとは表現するメディアに合わせてどんなチームを組むか。プロの経験に基づく技術的なサポートはもちろん必要です。ライブ制作に関していえば、一流のミュージシャンがいて、一流の演出や振り付け、舞台監督がいて、各部署に一流の人たちがいてくれれば、コアになる物語の筋を汲み取って、神話としての可能性を見出して、それを最終的にまた表現するのが自分の役目なんだなって。

 

ースペシャリストがちゃんと配置できたら成立する気もしますが、やはりそこの想いや、DEANさんの描いてる全体像を把握してもらう上でないと成立しないですよね。神話の理解というか。

そこまで理解してもらえたらいいですね。でもこれってたぶんわかんなくても進むしかないです。そのゼロイチと、99から100ってところをちゃんと自分が勝負し続けてれば、そこの間っていうのはある程度「そっちじゃないよ、こっちだよ」って修正できるかなと。

 

ーそこに、さっきおっしゃられていたスケールの話ですよね。それがどの規模になっていくかでどこかで限界点があるかもしれないですよね。

そうなんです。それが物語の力だと思うんです。ストーリーがあるからこそ、ビジョンを共通のものとして意思の疎通ができる。同じベクトルに向かって歩んでいける。

 

ー確かに。結論そこになりますね。

そこに筋を通す勝負だけは、絶対に責任を果たす。

 

ーそこが強くあれば、スケールが大きくなっていったとしても伝播されていく。

だからドームサイズでもできると思ったんです。

 

ー神話が伝播されていければ成立すると思うのですが、100万人でいけるのか、10万人ならいけるのか、5万人ならいけるのか、特にその規模に対するチームの大きさと各メンバーの理解度など、心配は出てくると思います。神話という力で繋げていけるのか。

だから常にトライです。毎回100点満点ってことはないので。ただ、もし何かハプニングがあったとしても、物語があるからそれを好転させる力を生み出せるし、むしろそこから新たな可能性が生まれたりする。その余白っていうものがすごく大事でもあったりするんです。だからライブ制作の計画も、最初から全部こういう風にしようと明確に思ってたかというとそういうわけでもない。最初と最後を締めなきゃいけないんです。どっちかだけになるとサイズが大きくなったときに、今おっしゃった心配が現実のものとなってしまう気がする。それを回避するための自分なりのアプローチが、ゼロイチを作って、あと最後のキャップを締めるっていうところです。最初と最後に軸を通すことでその間のプロセスに必要なアプローチや修正方法が見えてくる。ストーリーが生き物になる。

 

ーなるほど、それがゼロイチと99-100の部分に責任を持つということですね。ではもうお時間なので最後の質問です。それらをもってして、結局のところDEANさんが目指すものは何になるんでしょうか。

目指すもの……何なんでしょう。楽しく生きるですかね(笑)。

 色んな考え方があると思うんです、人生って。宿命があるとか運命があるとか、生きてきた意味とか。色々あると思うんですけど自分はどっちかっていうと後天的なものの可能性を信じたいので。だから希望があり続けるべきだと思う。でもなかなか希望が持てない時もある。難しいですよね。現代だけじゃないですけど、生きるってことは大変なことの方が多いわけで。でも、もう嫌だと言ってやる気をなくしたり生きることをやめてしまうという負のスパイラルに行くのではなく、少しでもより良くなる方法を探し続けたい。

こういう風にやったら希望が生まれるかも知れないっていう方向に向かっていきたい。だから自分が日々やってることを通して、一人でも多くの人にポジティブなエネルギーが届けば良いなと思うし、自分のためにもそれをやり続けなきゃいけないと思います。

現状維持の思考になると良くない方向に行く可能性が高まるし、思考を止めちゃうと危ないじゃないですか。人生において大きな間違いを犯してしまうこともある。後になって、なんであの時あんな決断をしたんだろう、って。そんなときはだいたい自分の思考が止まっている。周りでそうなりそうな人がいたら一言「大丈夫?」って言ってあげたくなりませんか。「なんか思考が止まってない?」って。

どうしたら好転する変化の可能性が生まれるか、色んなメディアで色んな作品を通して、訴え続けることが自分にとっては楽しく生きる、自分が幸せに生きるためにも一番良いアプローチなのかなと思うんです。

 

ーなるほど。納得しました。 “DEAN FUJIOKA”という一人の人間を今回少しは紐解けたのかなと思います。すごく楽しかったです。

ありがとうございます。そう言っていただけて。なかなかいつも説明が難しいなと思って。どうしても一つの産業に収まらないと……ってあるじゃないですか。自分は伝えたいからやってる。でも言葉で伝える限界があると思うので、だから作品作りをしてるんです。

 

ー音だから表現できる、伝えられることもあって、音楽について、演技についてもですが、インタビューで言葉にしていただくこと自体が矛盾しているとも言えると思うんです。でもそこに捕足できる何かがあればとも思い取材させていただきました。

つまるところ、人は物語を欲してる。言葉では表しきれない熱量や感動を生み出して、届けられるかどうかだと思うんです。さっき言った自分が勝負してる場所っていうのは、感動を生み出せるかどうか、そこに尽きる。感動があるから人の心は動くし、石のようになってしまった心も、もう一度血の通った生身のハートに戻ることができる。それが究極かもしれないです。

どっちを選ぶ、ってなったときに自分は感動の力を信じる方を選ぶ……。オチがついて良かった、そういうことです。ありがとうございました。

 

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PHOTOGRAPHY : SHOTARO YAMAGOE(TRON)
STYLING : HIDEYUKI KANEMITSU(CEKAI)
MAKEUP : DASH
HAIR STYLING : KAZUHIRO NAKA(KiKi)
INTERVIEW : SADANORI UTSUNOMIYA

 

*このインタビューは2021年12月30日に発売されたVI/NYL #005のために実施されました。

 

■VI/NYL

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